教育ニ関スル戦時非常措置方策

ネット黎明期の「セットポジション」には「たそがれの商業高校」と題するページがありました。私は次のように記述していました。

セットポジション>たそがれの商業高校

「おそらく」と逃げを打っていますが、当時はたしかに3校だったのです。今は4校に増えています。那珂川町立福岡女子商業高校は2017年4月より設置者が那珂川町から学校法人八洲学園へ変更されました。公立高が私立高になったのです。

目下のところ私は「商業高校MAP」を鋭意作成中です。厳密には作成準備中です。2018年度に現存する「~商業高等学校」は全国で177校前後です。かつての商業高校はおそらく200を超えるのではないかと思われます。

で、これをMAP化しようという魂胆ですが、やはり気になるのが1944年に商業高校がこぞって工業高校や農業高校に転換していることです。

教育ニ関スル戦時非常措置方策
昭和18年10月12日 閣議決定

一 方針
現時局ニ対処スル国内態勢強化方策ノ一環トシテ学校教育ニ関スル戦時非常措置ヲ講ジ施策ノ目標ヲ悠久ナル国運ノ発展ヲ考ヘツツ当面ノ戦争遂行力ノ増強ヲ図ルノ一事ニ集中スルモノトス
第二 措置
一 学校教育ノ全般ニ亘リ決戦下ニ対処スベキ行学一体ノ本義ニ徹シ教育内容ノ徹底的刷新ト能率化トヲ図リ国防訓練ノ強化勤労動員ノ積極且ツ徹底的実施ノ為学校ニ関シ左ノ措置ヲ講ズ
<略>
(三)中等学校
(イ)昭和十九年ヨリ四学年修了者ニモ上級学校入学ノ資格ヲ付与シ昭和二十年三月ヨリ中等学校四年制施行期ヲ繰上ゲ実施ス
(ロ)昭和十九年度ニ於ケル中学校及高等女学校ノ入学定員ハ全国ヲ通シ概ネ前年度ノ入学定員ヲ超エシメズ工業学校、農業学校、女子商業学校ハ之ヲ拡充ス
(ハ)男子商業学校ニ就テハ昭和十九年度ニ於テ工業学校、農業学校、女子商業学校ニ転換スルモノヲ除キ之ヲ整理縮小ス

1943年10月当時は東條内閣です。男子生徒を勤労奉仕や予科練に誘導したい思惑があるのでしょうが、配給制と闇市の統制経済下では「商業」がいびつな形になるわけですから、学ぶべきこともあまりないと言えるのかもしれません。

この戦時非常措置や文部省の指導により、1944年にはたとえば松本商業学校が明道工業学校に、東京商大は東京産業大に、神戸商大の商業研究所が大東亜研究所に改称されたり、募集が停止されたりすることになります。

享栄商業学校は1944年に享栄女子商業学校を名乗っています。享栄高校は1988年の共学化まで男子校でした。享栄高校の100年を超えた歴史において「女子」を冠していた時代があるのは苦肉の策の帰結だったわけです。

さて、1944年に半ば強制的に「商業」が外されて、これを奇貨として?そのまま「商業」なしで突っ走った学校もあれば、戦後ほどなく「商業」に戻った学校もあります。今回はそこに注目したいわけではありません。

【外部リンク】
福島県立若松商業高等学校>若商100年のあゆみ>学徒動員学校工場
新潟県立新潟商業高等学校 葦原同窓会>勤労動員と学科転換

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