6月9日の100万人デモの翌週、6月16日の日曜日には200万人デモが行われています。前日の土曜日、双方に若干の動きがあります。林鄭月娥長官は深圳で中国の韓正副首相と会見しています。
中国共産党のトップは総書記ですが、総書記を含めた7名が政治局常務委員です。この7名を含めた25名が政治局委員、その25名を含めた204人が中央委員です。韓正副首相は政治局常務委員であり、党内序列は7番目です。
15日午後3時過ぎ、林鄭長官は逃亡犯条例の審議について期限を定めることなく延期すると発表します。そして、中国政府もこの延期を支持する旨を表明します。支持するというより、指示したと見るのが妥当かもしれません。
同日午後4時半ごろ、金鐘(きんしゅう、Admiralty)のメインストリートに面した工事中のビルの屋上に黄色いレインコートを羽織った35歳男性が姿を現します。夜9時ごろ、彼は制止しようとした消防士たちを振り切って転落死します。
彼が立っていた屋上に掲げられた横断幕の1つには「全面撤回送中、我們不是暴動、釈放学生傷者、林鄭下台、Help Hong Kong」と記されています。五大要求の原型です。彼が長官の「延期」発言を知っていたのかどうかは定かではありません。
長官が言及した「延期」は抗議活動の沈静化を目論んだものだったのでしょうが、ガス抜きの効果はありませんでした。全面撤回を求める黄色いレインコートの転落死が打ち消してしまったのかもしれません。
翌日のデモは1週間前と同じコースでしたが、主催者発表で200万人近く、警察発表で33万8000人です。警察発表の数値は、当初予定されていた幹線道路だけカウントしたということです。
午後3時開始予定だったデモは前倒しで始まりますが、九竜半島側から出発地点のビクトリア公園に向かう地下鉄やフェリーが30分待ちの状態だったようです。脇道に人が溢れ、脇道からの合流を余儀なくされたということです。
デモのコースは西に向かいます。天后駅で下車すればビクトリア公園に行けるのでしょうが、銅鑼湾駅で降りると公園に行くのは困難です。フェリーが到着するのは公園の1キロ西ですから、フェリー組は完全に飲み込まれたはずです。
香港ではイギリス領時代の1989年、天安門事件に際して100~150万人のデモがあったそうです。この日の200万人デモは香港史上最大規模ということになります。一部で「200万人+1人デモ」とも呼ばれるのは黄色のレインコートを足したものです。
コメント