八十八歳で子供ができたから「米子」とか

米子の賀茂神社天満宮

米子市の(旧)加茂川の河口近くに天神橋があります。遊覧船乗り場の河口側の橋です。加茂川左岸には天神町もありますが、その天神町に神社が見当たりません。その代わりに天神橋地蔵があります。

天神「橋」地蔵である以上、橋が先にあったわけです。私が探しているのは天神橋の由来となった神社です。天神「橋」地蔵では順序が逆になってしまいます。

米子の天神橋

天神橋や天神町の元になった神社はどこにあるのでしょうか。米子城と米子市役所の中間付近に賀茂神社天満宮があります。位置関係からすればダイレクトに天神橋につながりそうにはありませんが、無関係ということはないはずです。

城山を賀茂三笠山と言い、町中を貫流する川を賀茂川(現在加茂川)と呼んだのは全て当神社に因んだものと言われている。往古より賀茂皇大明神と称えていたが、明治元年神社改正により賀茂神社と改め、昭和三十六年稲荷神社天満宮を合祀し、神社名を「賀茂神社 天満宮」と改称した。

賀茂神社天満宮>由緒

天神橋地蔵

なるほど、稲荷神社天満宮はおそらく天神町にあったのでしょう。では、天神町のどこにあったのかという話になります。1937年の地形図を見ると、まさに天神橋地蔵が置かれている場所に鳥居マークがあります。水色エリアが神社の敷地です。裏の鳥取大医学部側には針葉樹林マークもあります。

稲荷神社天満宮
移転前(地理院タイルを加工)

赤で示した天神橋と天神橋に通じる道路は1937年の地図にはありません。紫で示した天神橋地蔵は稲荷神社天満宮が移転したあとにできたものと思われます。正面で加茂川に架かるのは旧天神橋なのかもしれません。2022年7月撮影のストビューを埋め込みました。

賀茂神社前の天神橋地蔵

加茂川沿いには26地蔵があります。26か所の地蔵であって26体の地蔵ではありません。1か所に複数体のケースもあります。寺町には六地蔵を抱える寺が3つありますので、米子の市街地には軽く50体を超える地蔵が林立していることになります。

米子の地名の由来

さて、「米子」の地名の由来について、鳥取マガジンは次の4つの説を掲げています。

  1. 賀茂神社境内の「よなぐ井戸」から
  2. ずっと子どものいなかった老年の長者が賀茂神社の隣に越してきて88歳で子宝に恵まれた。「八十八」を「米」の1文字に集約して「八十八の子」が「米子」になった
  3. 稲がよく実る「米生郷(よなおうのごう)」が「よなご」に短縮
  4. 砂を意味する「よな」と平らを意味する「なご」で「よなご」

このうち、明らかに異質なのが「八十八の子」です。ほかの3つは音としての「よなご」の由来を説明していますが、「八十八の子」は「米子」の文字を分解しただけのストーリー仕立てです。「米子」の文字が定着したあとに創作されたに違いないという匂いがプンプン漂います。

「米子」の地名は各地に点在しますが、その読みは同一ではありません。「米」だけでも「こめ」「よね」「め」「まい」「べい」など多様な読みがあるのに、なぜ「よなご」なのかという核心部分を華麗にスルーするのが「八十八の子」説です。

よなご山形県鶴岡市温海米子
よねこ-福島県石川町湯郷渡米子平
-よなご福島県檜枝岐村上米子地理院地図に「上ヨナゴ沢」
よねこ新潟県新発田市米子
こめこ新潟県上越市三和区米子
こめご-新潟県南魚沼市・
群馬県みなかみ町
(米子頭山)Wikipedia
よなこ-長野県須坂市米子町
よなご-島根県松江市米子町
-やなご-大分県杵築市山香町下米子瀬杵築市役所
▲各地の「米子」の読み

松江の米子町は、松江城築城の際に米子から集まった職人たちが暮らしていた縁だとされています。だとすれば、当然のように「よなご」の読みになるわけです。

オメデタイ「八十八の子」説は、賀茂神社だけでなく同じ米子市内の粟島神社にも伝わっています。

昔、粟島村に住む長者には、長い間子供がいませんでした。88歳になったとき初めて子どもを授かり、その子孫はたいそう繁栄したといいます。そこで縁起のいい「八十八の子」にちなんで「米子」の地名がついたという言い伝えがあります。

粟島神社>粟嶋神社の自然と伝説(Google Map 粟嶋神社社務所

わかりやすいだけに根強い人気があるようです。

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