年度途中に学校用地と校舎が競売、直方学園

のおがた

夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」で、呉一郎が実母を絞殺したのは大正13年(1924年)のことです。場所は「福岡県鞍手郡直方町日吉町」です。直方町は1926年に周辺4村と合併し、1931年に市制を施行しています。

福岡県北部
福岡北部(地理院タイルを加工)

「NAOGATA」が「NOOGATA」に変化したわけですが、直方市のWebサイトを覗くとローマ字表記は「NOGATA」です。読みは「のーがた」でも「のうがた」でもなく「のおがた」が正解です。

さて、1961年第43回大会は、オモテの優勝が浪商でウラは福岡の直方学園です。

全国・F浪商1-0桐蔭
全国・S桐蔭5-4岐阜商
全国・Q岐阜商3-1崇徳
全国・2崇徳4-1新発田農
全国・1新発田農3-2戸畑
福岡・F戸畑3-1小倉
福岡・S小倉3-2大牟田商
福岡・Q大牟田商2-1八幡中央
北部・4八幡中央7-1豊津
北部・3豊津3-2折尾
北部・2折尾4-3嘉穂東
北部・1嘉穂東6-3直方学園
▲1961年第43回大会ウラ優勝校

大和青藍

直方学園は1959年に直方商として開校します。翌1960年に直方学園に改称し、直方東に改称するのは1997年4月です。その前年の1996年5月、学校法人直方学園は福岡シティ銀行から1億8000万の融資を受け、銀行側は約2万㎡の学校用地と鉄筋4階建ての校舎などに極度額3億円の根抵当権を設定します。

返済は滞り、2002年10月に銀行側は競売の申立を行います。この時点で直方東高校の生徒数は35人だったようです。2003年1月の入札は不調に終わりますが、6月の入札により学校法人直方学園は土地建物の所有権を失います。

直方東は年度途中での閉校を余儀なくされたわけです。落札したのは同じ直方市内で大和青藍(やまとせいらん)高校を運営する学校法人大和学園です。大和青藍は直方女子高から2002年に共学化されたばかりでした。

大和青藍が直方東の生徒を土地建物もろとも受け入れたことになります。両校は遠賀川(おんががわ)の対岸にあります。青マーカーが落札された旧・直方東の校地、赤マーカーが日吉町にある大和青藍の本校舎です。

直方学園跡
直方学園跡(地理院タイルを加工)

グラウンドや体育館として使われているようです。

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