伊賀市・久米川の天神橋は福徳神社か、桶子神社か?

淀川水系の伊賀市

三重県伊賀市の上野城は、西の木津川、北の服部川、南の久米川を天然の外堀に見立てているものと思われます。城下町である旧・上野市の市街地の南を流れる久米川は、木津川に合流して最終的には大阪湾に注ぎます。三重県伊賀市や名張市は淀川水系です。

旧・上野市の市街地

久米川に架かる天神橋がやっかいです。伊賀市中心部には菅原神社(上野天神宮)がありますが、橋との距離は直線で1.3キロ離れています。Google Mapでルート検索すると1.6キロ徒歩20分です。橋の方角と菅原神社の位置が一致しませんので、菅原神社由来の天神橋とは思えません。

天神橋の由来となった神社はもっと橋の近くにあるはずです。地理院地図に鳥居マークはありませんが、天神橋の西側60mに福徳神社(赤マーカー)があります。本堂だけの小さな無人の神社です。

伊賀市の天神橋
伊賀市の天神橋(地理院タイルを加工)

福徳神社は稲荷系

この神社が天神系なら話はそれで終わりますが、道路脇の案内板には主祭神が「倉魂の命」と記されています。「倉魂の命」には「クラタマ(の)ミコト」のルビが振ってあります。国津神のウカノミタマのことだと思われます。

福徳神社は久米の氏神として祭人は倉魂の命をお祭し、この倉魂の命は神代の昔、衣服五穀を司どる神にして、菅原神社より更に時代は古くから祭られ、その昔、境内には行者堂があり修験道場として行者たちが集り、お堂も甚だ立派にして行者たちも驚異せりと言い伝えられている。

案内板(Google Mapの投稿画像

国津神を天神と解していいなら、福徳神社が天神橋の名称の由来となります。宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)は伏見稲荷の筆頭主祭神であり、稲荷系です。さすがに国津神は天神ではないはずです。

福徳神社でないのだとすれば、距離的に可能性があるのは3つに絞られます。紫で囲んだ鳥居マークは開運神社で、天台宗得楽寺子安堂と接続しているようです。開運神社の名称なら一般的には稲荷系です。Google Map上では周囲に福寿霊神社や白藤大明神などの祠もあります。

桶子神社に合祀された福徳天神

緑の鳥居マークは愛宕神社です。忍者神社を境内社として抱えていることで有名ですが、稲荷神社や八幡神社も境内社のようです。天神系の神社が境内社に含まれているかどうかは確認できませんでした。愛宕神社の主祭神は父・イザナギに首をはねられたカグツチ(軻遇突智、火之夜藝速男神)です。

紫の桶子(おけご)神社の主祭神は天照大神です。橋との位置関係も不自然ではなく、天照大神なら天津神です。非道真系の天神になります。桶子神社由来の天神橋と解するのが妥当かもしれません。疑問は残るものの、これで解決としたいところですが、そう簡単にはいかないのです。

私を悩ませたのは2つの個人サイトです。末尾外部リンク【A】の上から2番目の画像は「福徳天神」を明治41年に合祀したという石碑です。福徳神社の説明板には行者堂があったとされていますので、これが事実なら福徳神社の敷地はもっと広かったことになります。

合祀前の福徳天神は今の福徳神社に隣接していたのではないかと推測することができます。福徳神社が天神なら、話としては一番わかりやすいのです。というわけで、天神橋の名前の由来となった福徳天神は福徳神社の位置にあったというのが私の推理です。

洪水で流された雨宝童子像

これで問題が解決したわけではありません。私は天神橋の名前の由来となった天神社が道真系か天津神系かを知りたいのです。合祀された「福徳天神」がどちらなのかはまだわかりません。さらに悩ましいのは、末尾外部リンク【B】の個人サイトです。

どうやら桶子神社は、1098年(承徳2年)の洪水で木津川上流の伊賀市高尾にある天満神社の雨宝童子(うほうどうじ)像が流れ着き、これを合祀しているようです。雨宝童子は天照大神ですのでもちろん非道真系ですが、「天満神社」なら道真系のはずです。

高尾の天満神社は洪水時には天照大神が祭神であり、のちに菅原道真を祭神に加えることで天満神社に改めたというのが合理的な解釈になるのかもしれません。伊賀市高尾の天満神社は雨宝童子像が流れ着いたという地点(紫)から直線で21キロ上流(ピンク)です。結構な距離があります。

雨宝同時の流出経路
雨宝童子流出(地理院タイルを加工)

まあ、洪水で流されてきたというのはどこかで聞いた話ですが、もっとあるはずです。私は全国で500は下らないはずだと考えています。

【外部リンク】
【A】古/いにしえの面影>三重県伊賀市(旧上野市内 桶子神社)
【B】xHOTZONE>伊賀市木興町 桶子神社

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