茅の輪?の緑道と江古田の不幸

杉並区荻窪・田端神社由来の天神橋公園

杉並区荻窪1丁目に天神橋公園(緑)があります。公園化されていない遊歩道的な部分を加えて200mほどです。川を埋め立てたか暗渠化してできた公園だと思われます。

天神橋公園
天神橋公園(地理院タイルを加工)

ストリートビューを覗いてみると、明らかな既視感があります。私はストビューがなかった時代に車でここを横切ったことがあります。2009年10月のストビューを埋め込みました。

車庫なのか、それともただの遊歩道なのかと、通り過ぎてから2~3分ほど悩んだ記憶があります。ちょうど派出所マーク(X)の付近です。そのとき、私が通った橋は西田端橋(紫▲)という名前のようです。善福寺川の1つ下流の橋は神通橋(赤▲)です。

ということは、現存する天神橋にちなんで天神橋公園の名称になったのではなく、消滅した天神橋の跡に天神橋公園ができたはずです。終戦直後の地図では、禅福寺川が分岐して公園に沿って流れています。杉並区Webサイトでは1981年8月開園とされています。

善福寺川が大きく湾曲する地域、荻窪一丁目にあります。
開発行為による提供地と水路用地を利用してつくられた、住宅地の中を南北に走る幅8から9メートル、長さ約150メートルの細長い公園です。

杉並区>施設案内 天神橋公園

まさしくストビューの付近に天神橋は架かっていたのでしょう。鳥居マークは田端神社です。田端はこの地域の旧地名であり、田端駅の田端とは直接的な関係はないはずです。もともとは北野神社で、明治末期に田端村のほかの神社を合祀しているようです。

中野区・江古田公園の天神橋

中野区の江古田公園に隣接して、妙正寺川に天神橋(紫▲)が架かっています。天神橋の南詰が松が丘北野神社です。これに関しては何の問題もないわけですが、江古田は中野区の「えごた」と練馬区の「えこだ」で読みが分かれます。

中野区の町域名としての江古田1丁目から4丁目は赤枠ゾーンです。青字で施したのは明治時代の地図に掲載されている地名です。江古田の本村は中野区側にあり、今の江原町や大江戸線・新江古田駅(ピンク)付近は「江古田原」または単に「原」です。今の西武線・江古田駅(緑)が開業した当時の付近は「江古田新田」です。

どうやら当時から読みは異なっていたようですので、1922年に武蔵野鉄道・江古田駅が開業したときに「えこだ」の駅名になったのは不当な話ではありません。新田のほうに駅ができて、しかも周辺には3つの大学がありますので、「えこだ」のほうがメジャーになっただけの話です。大阪環状線の天満駅のように少し離れた目標物を駅名に用いたわけではありません。

大江戸線が「新江古田(しんえごた)」の駅名で開業したのは1997年です。これを契機に中野区側の巻き返しが始まり、今では「えごた」のほうが正しいかのような言説さえ散見されます。最初から西武(←武蔵野鉄道)が「江古田新田」駅にしていれば混乱は少なかったのでしょうが、予見できるはずはなく、こういう歴史でこうなったことを受け入れるしかありません。

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