京葉道路の陸橋
千葉駅から真東3.5キロほどの地点に天神橋があります。貝塚トンネルと千葉東JCTの間の京葉道路に架かる陸橋です。この区間の京葉道路は国道16号線と並行しています。掘割構造の底を走っているのが有料の京葉道路です。
一般道は上下線に分かれて両側から自動車専用道路をサンドイッチにしています。通常のパターンでは高速道路は高架であり、一般道は俗に下道と呼ばれます。ここでは字義のままの下道が高速です。
2019年3月撮影のストビューを埋め込みました。
由来の神社が不明
では、この天神橋(赤▲)の由来となった天神はどこにあるのでしょうか。ちなみに、紫▲は都橋で、青▲は加曽利(かそり)橋です。橋の所在地が中央区都町と若葉区加曽利町だからなのでしょう。天神橋は都町に属します。
近くにそれらしい神社がありません。位置関係からすれば有力な立場にある黄色のマーカーは諏訪神社です。摂社に雷神が含まれていますので、天神要素がないわけではありません。それなら弁天橋でも子安橋でもよかったはずです。ピンクは貴船神社です。
少し離れて茶色のマーカーは大六天神社です。天神橋から1.6キロ離れています。天津神系ですが、大六天神社由来なら紫▲の都橋を天神橋と称したほうがよかったのではないかと思われます。納得できませんので、さらに千葉駅方面を探してみました。
水色は北総天満宮です。天神には違いありませんが、神社の規模からして2.3キロ離れた橋の名前になるとは思えません。緑の八坂神社は天神橋のある都町中通りのほぼ延長です。ただ、ここも規模的に橋の由来になりそうにありません。
赤マーカーは千葉神社です。本来は妙見系ですが境内社に千葉天神があり、千葉市で合格祈願するならここになるようです。とはいえ、すでに2.5キロ離れており、ここが由来で京葉道路に天神橋の名前がついたと考えるのは無理があるような気もします。
天神橋の東には「天神橋坂下」バス停があります。「天神坂下」なら「天神坂」があることになりますが、「天神橋坂下」ですので陸橋ができてからこのバス停の名前になったものと思われます。京葉道路の建設時に移転した神社があるのでないかと疑ってみましたが、1960年代以前の地図に鳥居マークは見つかりません。
距離的に近い貴船神社と諏訪神社が有力容疑者であることに変わりはありませんが、天神とのつながりがクリアになりません。嫌疑は残るものの勾留の延長はできませんので、この件は事実上迷宮入りになりそうです。
天神池
コメントを頂きました。ご指摘のセブンイレブンと天神池の位置関係は次のとおりです。赤の★印がセブンイレブン、赤の丸囲み辺りがかつて存在した「天神池」です。
黄色マーカーの諏訪神社について、次のような記述があります。明治末期に天神社を合祀しているようです。
都町諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、明治維新後の社格制定に際して村社に列格、明治43年地内に鎮座していた厳島神社、日枝神社、八幡神社、天神社、阿夫利神社、疱瘡神社、稲荷神社、御霊神社を合祀しています。
猫の足あと>都町諏訪神社
天神池は天神社由来と思われます。天神池のごく近くに天神社があったのでしょう。ただ、それほど大きい規模の神社ではなかったはずです。大正期の地形図では諏訪神社の向かい側にある延命寺の卍マークを確認できますが、諏訪神社には鳥居マークがありません(池はあります)。
千葉市の中心部なら詳細な古地図もあるのでしょうが、この地域では期待できないかもしれません。池と神社がそんなに離れているとは思えませんので、現存しない天神社の所在地は今の都町6丁目の区画に絞られるはずです。
コメント
たまたま見つけたページですがご参考までに
今からざっと30~40年前まで近くに「天神池」という池がありました
件の天神橋が竣工された当時はまだ残っていたはずです
現在の近くにあるセブンイレブン千葉都町店の裏手にありました
完全に宅地となっておりますが当時の面影を若干残してはいます
ただ当時は現在と様相が全く違い、山の中の池という感じでしたので
この池の存在を覚えている方は少ないと思います
私は遊び場だったのでよく覚えてますが(笑)
ご参考になれば幸いです
ご指摘の天神池については1970年代以前の地図や航空写真で確認できますので、本文に書き加えたような事情なのだろうと推察します。
解決しなくても誰も困らない私の疑問に応えて頂いてありがとうございました。こうして核心に近づいていく過程が私は好きなようです。
もともと16号が通っていたのを拡幅して京葉道路ができたものと思っていましたが、16号を延長したときに一緒に京葉道路もできているのですね。70年代に様子が激変しています。