破断した和歌山・六十谷水管橋の「むそた」は墓所谷

紀ノ川に架かる水道橋

10月3日午後3時45分頃、紀ノ川に架かる六十谷水管橋が落ちて紀ノ川右岸(北側)6万世帯で断水が発生しています。落ちたのは左岸の加納浄水場から右岸に送っている水道管です。

六十谷水管橋
六十谷水管橋(地理院タイルを加工)

「六十谷」は「むそた」と読みます。JR阪和線には六十谷駅があり、大阪方面から阪和線快速に乗ると和歌山の1つ手前です。六十谷の由来について、Wikipediaには次のような記述があります。

由来については、「紀伊続風土記」(1839(天保10)年刊行)に「『田屋村森氏所蔵文書』に『按するに六十谷は墓所谷なるへし。墓所を六十と書けるは、墓所の字を忌みて同音の字に代えたるなり。此の地古よりの墓所なれば、好字に改め直に村名となせるなり。村の北山麓に行基の庄三昧といふ一村の墓地あり…』とある」と記されている。郷土史家の中屋博志は「和歌山市有功郷土史」(有功地区公民館発行、2004年刊)で、「庄三昧といふ一村の墓地」は現在の六十谷共同墓地ではないかとするが、この「紀伊続風土記」以外に「墓所谷」とする記述がないとも指摘し、1804(文化元)年の六十谷射矢止神社由緒文書に、仲哀天皇の御后息長足姫尊が三韓征伐の帰りに矢を放ったところ神社の近くに落ち、皇后は神の加護と当社に籠られ、「今是を六十谷と云は、葛城山続にて谷数多くある故に号と云へとも、実は皇后の夢相を蒙り玉ひし、御矢の瑞より号して、中古六十谷と書改しと…」との記述があるとも紹介している。

Wikipedia>六十谷駅

後段で登場する仲哀天皇の父親は白鳥となって天に昇ったとされる日本武尊です。仲哀天皇夫人の神功皇后は仲哀天皇の死後69年に渡って摂政を務めたとされています。ずいぶんご長寿だったようで、おめでたいことです。

全国の「六十○○」

地理院地図で「六十」を検索してみました。

岩手一関市藤沢町西口六十里~ろくじゅうり
宮城仙台市若林区六十人町ろくじゅうにんまち
山形六十里越街道ろくじゅうりごえ~
山形鶴岡市田麦俣六十里山~ろくじゅうりやま
新潟・福島六十里越トンネルろくじゅうりごえ~
福島いわき市平下神谷六十枚~ろくじゅうまい
茨城行方市小幡字六十塚ろくじゅうづか
埼玉加須市中樋遣川字六十軒
富山高岡市戸出六十歩~ろくじゅうぶ
三重大台町 六十尋滝ろくじゅっぴろだき
和歌山和歌山市六十谷むそた
和歌山みなべ町東本庄六十川むさのがわ
京都福知山市六十内むそち
徳島上勝町大字正木字六十ブ~ろくじゅうぶ
愛媛西予市城川町高野子六十
福岡柳川市大浜町東六十丁~ろくじゅっちょう
宮崎都城市山之口町山之口六十田~ろくじゅうだ
▲「六十」の読み

「六十」を「ろくじゅう」と読む場合は、その数字にそれなりの意味があるはずです。「ろくじゅう」と読まない関西の3か所は、何らかの音に「六十」の文字を当てたと考えるほうが自然です。みなべ町の東本庄には本流の南部川が流れていますが、その支流が数多くあるわけではありません。

東北の「六十○○」

仙台市若林区には「六十人町」のほかに「五十人町」や「三百人町」があります。

仙台市若林区六十人町
仙台市若林区六十人町(地理院タイル

鶴岡から山形市に向かう六十里越街道の2012年9月撮影のストビューです。

2014年6月撮影の福島・新潟県境にある六十里越トンネルです。

唯一無二の「六十谷」と「六十内」

六十里越(峠)は山形と福島でかぶっていますが、「六十谷」とともに福知山市の「六十内」は唯一無二の地名です。

福知山市六十内
福知山市六十内(地理院タイルを加工)

2019年10月撮影のストビューです。

六十内の由来はまったくわかりません。手がかりすら掴めませんでした。

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