「菊(きく)」は音読みだった
地理院地図を「鞠」で検索すると次の7か所がヒットします。
- 朱鞠内(しゅまりない、北海道幌加内町)
- 金鞠(かなまり、群馬県甘楽町)
- 鞠ヶ谷(きくがや、千葉県睦沢町)
- 鞠ヶ原(?、三重県鈴鹿市)石薬師町の小字?
- 鞠山(まりやま、福井県敦賀市)郵便番号簿は「まるやま」、行政は「まりやま」
- 鞠生町(まりふちょう、山口県防府市)
- 鞠知城跡(きくちじょう-、熊本県山鹿市)
「鞠」を「きく」と読むのは初めて知りましたが、「菊」の連想からさほどの違和感はありません。ただ、「まり」は訓読みのはずです。そうすると「きく」は音読みになってしまいます。「靴」の訓読みは「くつ」で音読みは「か」です。「鞄」の訓読みは「かばん」で音読みは「ほう」です。
おそるおそる「菊」を調べてみました。「菊」の訓読みはありませんでした。

「雛菊」や「野菊」から、私は「きく」が訓読みだとずっと信じていました。たしかに「春菊」や「寒菊」があります。「春菊」が本則で、「雛菊」や「野菊」や「白菊」が例外だったわけです。
アメダス朱鞠内
幌加内町の朱鞠内はアイヌ由来です。朱鞠内湖は1943年(昭和18年)に完成した雨竜第一ダムにより生まれた人造湖です。日本の湖の面積順では19位・田沢湖と20位・摩周湖の間に入ります。ダム湖としての面積は日本最大です。朱鞠内湖から流れ出る雨竜川は南流し、滝川市で石狩川に合流します。

アメダス朱鞠内は、朱鞠内支所や郵便局や派出所などが立地する地区にあります。西側は天塩山地で、標高は255mとされています。観測施設にフェンスが設置されていないのは、どうせ雪で覆われてしまうからなのかもしれません。

積雪は2m以上に達しますが、気温計の設置高さは1.5mです。2021年3月4日時点の積雪は239センチですので、アメダス朱鞠内の気温計は雪に埋もれていることになります。2020年の観測値は次のとおりです。
年降水量 | 1732.0ミリ | 690位 | /1293地点 |
年平均気温 | 5.1℃ | 919位 | /922地点 |
年最高気温 | 30.3℃ | 897位 | /922地点 |
年平均風速 | 1.3m/s | 782位 | /921地点 |
年日照時間 | 1121.8時間 | 833位 | /841地点 |
年平均気温は低いほうから3位タイ、年日照時間は少ないほうから9番目です。
朱鞠内湖に浮かぶ藤原島
さて、朱鞠内湖には藤原島と名付けられた島があります。もちろん、この藤原は藤原鎌足や藤原不比等であるはずはありません。秀衡でもないでしょう。

太平洋戦争中に軍需大臣などを務めた「製紙王」藤原銀次郎が由来ということです。Wikipedia「藤原銀次郎」のページから経歴を起こしてみました(1~2年の前後があるかもしれません)。
1895年 三井銀行に入行
1897年 富岡製糸場支配人
1910年(王子製紙苫小牧工場が操業開始)
1911年 王子製紙専務
1929年 貴族院議員
1933年 王子製紙社長
1938年 藤原工業大学(→慶応大工学部)設立
1940年 米内内閣で商工大臣
1943年 東條内閣で国務大臣
1944年 小磯内閣で軍需大臣
1951年 公職追放解除
ダムを計画したのは王子の子会社・雨竜電力です。土地は北海道大学から購入し、ダム湖に沈む土地のエゾマツは伐採して苫小牧に運び、電力事業を展開する手はずでした。雨竜電力は第2次世界大戦が始まった1939年に解散させられ、国策会社としての日本発送電がダム建設を引き継ぎます。
強制労働の闇
ここから先は重い話になります。東洋一と称されたらしい雨竜ダムの竣工は1943年です。太平洋戦争真っ盛りの当時の技術と資材で、今でも日本最大の面積を誇る人造湖ができたのなら、それなりのことがあったのだろうという想像はつきます。
一部では雨竜ダムや朱鞠内湖は心霊スポットとして扱われているようです。「人柱」という物騒な言葉も出てきます。ダム工事の特性として落ちたら救えないことはあるでしょうから、生死不明の状態でコンクリートが流し込まれるような事案がなかったとは言えないのでしょうが、さすがに積極的に生贄を差し出す時代ではなかったはずです。
1932年 幌加内線の朱鞠内駅が開業(深川で函館本線と接続)
1934年 朱鞠内湖の湖畔に光顕寺が建立
1935年 朱鞠内から名寄に向かう名雨線建設工事が着工
1938年 雨竜ダム起工式
1941年 深名線開業(深川-朱鞠内-名寄が全通)
1943年 雨竜ダム竣工
1964年 朱鞠内大火で116戸消失、光顕寺は無住化
1978年 朱鞠内湖北東の母子里(もしり)にある北大施設で-41.2℃を観測
1995年 深名線廃線で朱鞠内駅も廃駅に
動画にある「笹の墓標展示館」とは旧・光顕寺です。この展示館は2019年2月に雪で倒壊しています。把握されている犠牲者は200余名ということです。
【外部リンク】
■旧光顕寺・笹の墓標展示館
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