吉村知事の「ガラスの天井」と小池知事の「分水嶺」

ガラスの比喩表現

「ガラス」を用いた比喩表現について、Wikipediaには次のように3種が掲げられています。私は同意しかねます。

日本語ではガラスを使った以下のような比喩表現がある。なお、3.に関しては「ガラスの天井」が元来英語圏で提唱されており、彼の地でもこのような使われ方をしていることがわかる。
 1.ガラスの脆く壊れやすい性質から、わずかな負荷で破損・故障するもののたとえ。
例:「ガラスの地球を救え」「ガラスのあご」「ガラスの十代」「ガラスの脳」
 2.透明であるためガラスの向こう側がよく見えることから、「内部の全てを包み隠さず開示する」ことのたとえ。
例:「ガラス張りの行政」
 3.透明であるためガラスそのものは見えにくいことから、「目には見えないが存在する」もののたとえ
例:「ガラスの天井」

Wikipedia>ガラス 日本語での比喩(2021/03/07閲覧)

2と3は「ガラス」単体ではなく「ガラス張り」や「ガラスの天井」を説明しているだけです。1に関して異存はありませんが、光に反射して輝くという性質に着目した比喩が入っていないのは決定的にNGです。私の理解では次の5種です。

(A)割れやすい、壊れやすい
(B)透明である、透き通っている
(C)光の反射で輝く
(D)表面が硬い(弾力がない)、凹凸がない
(E)破片が鋭利

Googleの検索ボックスに「ガラスのような」と入力すると、次のような変換候補が示されます。

  • ガラスのようなお菓子
  • ガラスのようなプラスチック
  • ガラスのような目
  • ガラスのような花
  • ガラスのような心
  • ガラスのような宝石
  • ガラスのような石
  • ガラスのような瞳

「お菓子」が琥珀糖だとすれば(B)の透明感と(C)の反射を表現しているはずです。「目」と「瞳」と「石」も(B)と(C)です。「心」は(A)と(B)です。「プラスチック」は(B)がメインで(C)と(D)が加わるかもしれません。「ガラスのような宝石」は偽物だと言いたいのかもしれません。「宝石のようなガラス」なら使われそうですが…。

キラキラは古くから

タネリはすばやくそれを洗いましたらほんとうにきれいな硝子のようになって日に光りました。

青空文庫>宮沢賢治「サガレンと八月」

古典的な文学作品では光を反射してキラキラ輝く様子を「ガラスのように」と表現するケースが圧倒的に多いのです。タネルが洗った「それ」とは孔石です。(C)を欠かすことはできません。

(D)については「ガラスのよう 滑らか」で検索すると、スマホの保護フィルムがヒットします。ネイルや少し怪しげな化粧品(パウダー)のキャッチコピーで使われているようです。(E)の破片はKinKi Kids「硝子の少年」です。これは「恐れ入りました」レベルですので、そう簡単に真似はできません。

Google検索ボックスに「ガラスのよう」と入力すると、「ガラスのように繊細だね、特に君の心は」に誘導されます。これは(A)のパターンだと思われますが、私はエヴァを見たことはありませんので、ひょっとすると(B)や(C)が含まれているのかもしれません。(A)の典型例は「ガラス細工のような」です。壊れやすいから慎重に扱えと続くのが一般的です。

Wikiの3 「目には見えないが存在する」ものをガラスに例えるケースは実はそれほど多くありません。探すのに苦労しました。

今これをまとめて読んでみると、まず第一に著者の文章の円熟に打たれる。文章の極致は、透明無色なガラスのように、その有を感ぜしめないことである。

青空文庫>和辻哲郎『青丘雑記』を読む

比喩ではありませんが、「ガラス越し」との表現は仕切りとしてのガラスの存在をもどかしく思っている場合に使われます。「ガラス越しの面会」や「ガラス越しのキス」は、透明だけれども存在するものというそのものの状況です。口説いようですが、「ガラス越し」は比喩ではありません。

突き抜けたガラスの天井

「ガラスの天井」は直訳です。

「ガラスの天井」とは、英語の「グラスシーリング」(glass ceiling)の訳で、組織内で昇進に値する人材が、性別や人種などを理由に低い地位に甘んじることを強いられている不当な状態を、キャリアアップを阻む“見えない天井”になぞらえた比喩表現です。もっぱら女性の能力開発を妨げ、企業における上級管理職への昇進や意思決定の場への登用を阻害する要因について用いられることが多く、ガラスの天井の解消を図ることが、職場における男女平等参画を実現する上で重要な課題となっています。

日本の人事部>ガラスの天井

私が「ガラスの天井」という言葉に初めて接したのがいつだったのか今では覚えていませんが、「見えない」をガラスにたとえるとはなかなか斬新な発想だと感じたことは覚えています。そのまま「見えない天井」とするか、どうしてもたとえたいなら「アクリル板の天井」のほうが妥当です。

大阪府の吉村知事は1月8日に 「ガラスの天井を突き抜けた」として、政府に緊急事態宣言を要請することを決めました(要請は9日)。これに対して、元府知事の太田房江参議院議員などが誤用だと指摘したわけですが、そもそもジェンダー用語としての「ガラスの天井」が日本語としてはあまり適切ではないのです。

大阪の新型コロナ新規感染者数は1週間移動平均で300人前後でした。緩やかな減少傾向ながら膠着状態でした。それまでのピークは11月22日の485人です。移動平均の折れ線グラフでも天井めいたものを確認できるはずです。

大阪の新規感染者数の推移
大阪の新規感染者数の推移(NHK

1月6日に560人、7日が607人で、8日に 「ガラスの天井を突き抜けた」発言となったわけです。「いつ壊れるかわからない天井」として極めて妥当な表現です。その意味において誤用ではありません。日本では「ガラス」を見えないもののたとえで使うことがほぼありません。ジェンダー用語としては誤用でしょうが、通常の日本語としてこの表現はありです。

地理用語としての分水嶺

一方、完全にスルーされたのが小池知事の「年末年始が分水嶺」発言です。2020年最後の記者会見は12月30日でした。発言の趣旨としては「年末年始を分水嶺にしよう、ここから下げて行こう」と言いたいはずです。

この年末年始は、感染拡大、食い止められるか否かの分水嶺であります。都民の皆さんお一人おひとりの行動が、コロナの感染動向を左右いたします。
 <略>
どうぞ、この年末年始、分水嶺であります。一人ひとりの行動がこの分水嶺を静かな方向に行くのか、それとも、厳しい方向に行くのかを決めていくことになります。

東京都>小池知事「知事の部屋」/記者会見(令和2年12月30日)

地理用語としての「分水嶺」とは、異なる水系の境界線となる稜線を意味します。コロナに絡めるなら、ピークこそが分水嶺です。下の東京のグラフは報告ベースではなく発症日ベースの新規感染者です。このグラフでは1月4日が分水嶺です。

東京都の発症日別新規感染者数
東京都の発症日別新規感染者数(東京都)3/7

グラフ的には「静かな方向に行くのか」or「厳しい方向に行くのか」の分水嶺などあり得ません。それを言いたいなら、日本語では普通に「分岐点」です。分水嶺ということは峠道の頂点に立っているわけです。どっちに行こうが下るしかありません。私の感覚としてはNGです。

ちなみに、小池氏は原稿を読んでいたわけですが、吉村氏は記者の質問に答えている最中の発言です。


【2021/03/16追記】
ガラスの比喩がもう1つ見つかりました。→歌詞あなぐると>ガラスのように冷たい

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