「手稲区手稲山口」というクドい地名
「山口」という地名は本州・四国・九州にはうんざりするほど存在しますが、沖縄では見当たらず、北海道ではレアです。地理院地図でヒットするのは、苫前町を流れる山口沢と恵庭市の上山口、それに札幌市手稲区の手稲山口(ていねやまぐち)の3か所です。
アメダス山口の所在地は「札幌市手稲区手稲山口」です。ストビューで訪ねてみると、高尾山口や比叡山口のような登山口の雰囲気はありません。山口県出身の宮崎さんが最初の入植者だったことから、1882年に山口村として開村したということです。
山口村は1902年の合併で手稲村となり、手稲村は1951年に町制施行します。札幌市に編入されたのは1967年です。このとき、字名が「山口」から「手稲山口」になります。「手稲町山口」が「札幌市手稲山口」になったのです。旧町名を残そうという行政の配慮だったものと思われます。
札幌市は1972年に政令指定都市となり、手稲山口は西区に属することになりました。1989年には西区から手稲区が分区します。今の「札幌市手稲区手稲山口」になったわけです。せっかく手稲区になったのですから「札幌市手稲区山口」でいいのではと思わなくもありません。まあ、余計なお世話です。
札幌市は海に面していません。アメダス山口は石狩湾まで1.5キロの標高5mにあります。山口地区を石狩湾と隔てているのは小樽市銭函(ぜにばこ)地区です。
札幌市街地より寒い山口
アメダス山口と札幌管区気象台は直線距離で約13キロ離れています。
両地点の月平均気温を平年値(1981-2010年の平均)で比較してみました。
内陸の札幌のほうが幾分温かいようです。2020年の観測値では次のとおりです。
山口の年平均気温は平年値で8.2℃、2020年は9.3℃です。札幌の年平均気温は平年値で8.9℃、2020年は10.0℃です。その差は0.7℃で変わりません。
アメダス山口の2020年の観測値は次のとおりです。降水量は少ないほうから80位です。
年降水量 | 853.5ミリ | 1215位 | /1293地点 |
年平均気温 | 9.3℃ | 745位 | /922地点 |
年最高気温 | 34.6℃ | 613位 | /922地点 |
年最低気温 | -18.5℃ | 803位 | /922地点 |
年平均風速 | 2.7m/s | 258位 | /921地点 |
年日照時間 | 1685.7 | 495位 | /841地点 |
バッタ塚橋
ストビューでアメダス山口の付近を巡回してみたところ、「バッタ塚橋」と名付けられた橋に遭遇しました。さすがにこの名前の橋は日本全国どこにもないはずです。2011年9月撮影のストビューを埋め込みました。
山口村に入植が始まったのは1881年(明治14年)とされています。前年に十勝で発生したトノサマバッタの大量発生はもう札幌まで迫っていたようです。山口村では主に1882年と1883年にバッタによる蝗害(こうがい)を受けています。バッタの卵などを処分したのが「バッタ塚」というわけです。
ここは明治13年から同18年にわたる北海道蝗害の記録や古老の言い伝えから考えて、おそらく明治16年に、人手と器具で付近10km以内の土中から掘り集められたトノサマバッタの卵数億を、うね状に集積し、くわでその上に20cmほど砂をかけて翌春孵化するのを防ぐという、当時世界でも最新の方法が行なわれた、日本の虫害対策史上きわめて貴重な遺跡の一角である。
「元手稲村山口のバッタ塚」と題する石碑の碑文
明治政府はバッタの大群を鉄砲で追い払うという派手な対策?もとったようです。蝗害が収束したのは1884年です。
バッタを大発生させたのが自然なら決着をつけたのもやはり自然だった。明治17(1884)年夏は低温で長雨が続いた。猛威をふるったバッタも勢力が弱まり、大発生はやんだ。
札幌市北区役所>20.蝗虫(こうちゅう)との戦いの記録-バッタ塚
この年、札幌の年平均気温は5.7℃で観測史上もっとも低く、8月の月平均気温18.4℃も観測史上2位タイです。「長雨」については、年降水量が932.2ミリですのでむしろ少ないほうです。月ごとの観測値も調べてみましたが、とくに多い月は見当たりませんでした。
斎場とゴミ処理場と新幹線トンネル工事の対策土
【2021/04/01追記】
北海道新幹線のトンネル工事に伴うヒ素などの重金属を含んだ「要対策土」が2021年秋にも山口地区に運び込まれるようです。し尿処理施設のクリーンセンターが1995年、一般廃棄物最終処分場の第3山口処理場(埋立処分場)はその翌年、山口斎場は2006年の竣工・供用開始です。
2か所の候補地が住民の理解を得られず、3番目の山口にお鉢が回ってきたということのようです。シートで二重に覆ったうえで処分するということのようです。
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