1741年の渡島大島(おしまおおしま)噴火による津波

無人島の港

先日、焼尻島のことを調べているとき、気になったのが渡島大島と渡島小島です。大島は奥尻島の南60キロ、小島は松浦半島の松前漁港(赤マーカー)から西南西に24キロほどです。大島は北海道最西端、小島は北海道最南端となります。

渡島大島と渡島小島
渡島大島と渡島小島(地理院タイルを加工)

上の地図には航路も記載されています。小樽発着のフェリーは舞鶴便と新潟便です。新日本海フェリーの時刻表は次のとおりです。

  • 舞鶴 23:50→20:45 小樽
  • 小樽 23:30→21:15 舞鶴
  • 新潟 12:00→04:30 小樽
  • 小樽 17:00→09:15 新潟

日中に大島と小島の間を通過するのは、舞鶴発小樽行きの便のみです。小樽発舞鶴行きが通過するのは出港から5~6時間後と思われますので、夏場なら2つの島を目視で拝めるのかもしれません。奥尻島の青苗や松浦半島の大千軒岳(青マーカー)山頂からは、もちろん天気次第ですが大島と小島が見えるようです。

渡島大島は国内最大の無人島としても有名です。小島も無人島のはずですが、航空写真では港が見えますし、ヘリポートを確認できます。大島のほうには重機の姿も見えます。

渡島大島の避難港

松前町のWebサイトには次のように記載されていました。30年以上前から整備が始まっていたようです。たしかに寒流と暖流の潮目が発生しそうな海域であり、好漁場には違いありません。

この海域で操業する漁船は、荒天時には本道の拠点港に帰港せざるを得ない状況にある。渡島大島近海は、秋、冬期においては日本海特有の強い季節風が吹き荒れ、漁船の拠点港までの帰港は大きな危険が伴うことはしばしばである。このような背景から避難港としての機能を果たすことができるよう、昭和63年より大島漁港整備が始まった。

松前町>大島漁港整備の概要

1741年に寛保岳が噴火

この渡島大島は火山噴火予知連絡会がBランクに指定していますが、常時観測の対象になっているわけではありません。1741年(寛保元年)に噴火した西側にある火口は寛保岳と名付けられています。島の北側はえぐり取られたような姿にも見えます。

渡島大島の火口

1741年の噴火について気象庁Webサイトでは次のように記述されています。噴火活動は1790年まで続いています。

8月18日、西山から噴火。火砕物降下→岩屑なだれ→火砕物降下・溶岩流。25日からは降灰のため江差で昼も暗くなる。29日に大津波が発生し、死者1467名(北海道・津軽)、流出家屋791棟。

気象庁>渡島大島 有史以降の火山活動

▲「1467名」と「791棟」は松前藩の数値です。津軽藩(弘前藩)では20名前後とされ、関連死を含むと両藩で2000人規模に達するようです。津波の高さは佐渡や能登半島でも3mということです。

人的被害が1000人を超える津波が発生しているわけですが、地震の記録は残っていません。津波の記録はあるのに地震の記録がないため、噴火による山体崩落が起きて大量の土砂が北斜面から流れ込んだことで津波が発生したのではないかと疑われていました。一方で、海底を震源とした低周波地震(陸上ではあまり揺れを感じない)による津波との見解もありました。

Wikipediaの記述の変遷

Wikipedia「渡島大島」のページでは、津波の原因に関する記述が次のように変遷しています。もっとも初期の段階では両論併記で「詳細不明」です。

津波の原因については、噴火自体(山体崩壊、火砕流?)によるものと地震による説があるが、無人島ということもあり詳細は不明である。

Wikipedia「渡島大島」2004年7月29日時点

2006年にはいったん山体崩壊説に傾いています。

津波の原因については、噴火による山体崩壊による説と地震による説があったが、最近の研究で噴火による大規模な山体崩壊によるという説が有力になっている。

Wikipedia「渡島大島」2006年5月14日時点

2008年12月3日には次のように書き換えられています。

津波の原因は、噴火による大規模な山体崩壊によるという説[要出典]と、低周波地震によるもの[1]との説がある。

Wikipedia「渡島大島」2008年12月3日時点

その翌日には、なぜか低周波地震説がプッシュされています。

津波の原因は、噴火による大規模な山体崩壊によるという説[要出典]と、低周波地震によるもの[1]との説がある。東京大学地震研究所らの研究よれば、地震説が有力である。

Wikipedia「渡島大島」2008年12月4日時点

5日後、山体崩壊説の出典が示されました。

津波の原因は、噴火による大規模な山体崩壊によるという説[1]と、低周波地震によるもの[2]との説がある。気象庁の見解としては山体崩壊を採っており、東京大学地震研究所らの研究によれば、地震説が有力である。

Wikipedia「渡島大島」2008年12月9日時点

これ以降、あまり変わることなく現在に至っています。

津波の原因は、噴火による大規模な山体崩壊によるという説[3]と、低周波地震によるもの[4]との説がある。気象庁は山体崩壊説[5]を採っており、東京大学地震研究所らの研究によれば地震説が有力である[6]。

Wikipedia「渡島大島」(2020/11/06閲覧時)

[4]はリンク切れです。地震説の出典として掲げられている[6]の相田論文は1985年に書かれたもので、これぐらいの山体崩落が起きた場合にはこの程度の津波にしかならないという内容の論文です。その後、有人潜水調査船「しんかい2000」による潜航調査が実施され、(津波のときに起きたかどうかは別にしても)大規模な山体崩壊が起こった歴史があることについては確認されています。

また、北大地震火山研究観測センターの初代センター長を務めた島村英紀氏は、自身のWebサイトに次のように記載しています。

1741年の山体崩壊で崩れた量は日本の過去の火山噴火の中でも十指に入るほど大規模なもので、火山体から崩れた量は1億立方メートルを超えた。なお、このほか火山から噴出した火山灰や熔岩や火山弾など総噴出量が1億立方メートルを超えた大規模な噴火としては、1707年の富士山の宝永噴火(東北地方太平洋沖地震なみの巨大地震と考えられている宝永地震の49日あとに噴火した)や1783年の長野・浅間山の噴火や1914年の鹿児島・桜島の噴火などがある。

島村英紀のホームページ>崩れた大地震説 1741年の渡島西部大津波は「火山崩壊」

すくなくとも現在においては低周波地震説は否定されているものと私は理解しています。

【外部リンク】
国立国会図書館デジタルコレクション>加藤幸弘「渡島大島山体崩壊堆積物の地質と地形」
北海道>1741年渡島大島山体崩壊による津波の浸水シミュレーション

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