県西部の上越市にあるのに新潟県立中央病院とは?

新潟の県立病院は13

新潟県には13の県立病院があるようです。新発田市の新潟県立リウマチセンターと長岡市の新潟県立精神医療センターを除く11病院は次のように配置されています。

新潟県立病院
新潟の県立病院(地理院タイルを加工)

新潟県立中央病院は新潟県の西端・糸魚川市に隣接する上越市にあります。上越市ですから、上越・中越・下越の県内3区分なら、もちろん京都に近い上越です。それなのに、なぜ「中央」なのか気になります。
上越市は1971年に沿岸の直江津市と内陸の高田市が合併しています。中央病院があるのは城下町の旧・高田市です。城下町で「中央」と言うからには、その城の至近距離でなければなりません。ところが、中央病院の所在地は上越市南町です。中心部から関川を渡ったところにあります。新潟県の中央でないのはもとより、旧・高田市の中央でさえありません。

新潟県立中央病院

移転前は大手町

同病院のWebサイトには「沿革」が示されています。どうやら「中央病院」を名乗ったときは新南町の現在地ではなく大手町にあったようです。

明治 8年 1月 高田病院として設立
明治 8年 5月 総町村立となり頸城郡高田病院と改称
明治15年 8月 一郡に一病院をおくことになり中頸城郡病院と改称
明治18年12月 上越市大手町に新築移転する
大正11年10月 郡制廃止により財団法人中頸城郡病院に改組
昭和20年 1月 日本医療団に統合、日本医療団新潟中央病院となる
昭和24年11月 日本医療団の解散により県に移管、県立高田中央病院となる
昭和25年11月 県立中央病院と名称変更し現在に至る

新潟県立中央病院新潟県立中央病院の沿革

聞き慣れない「総町村立」とは「郡立」と解してよさそうです。頸城郡(くびきぐん)の全町村が設立者という意味のようです。「中央」の名称は太平洋戦争中に登場しています。「日本医療団」とは公的法人で、結核医療や無医村対策の目的で1942年に設立された特殊法人です。

「新潟中央病院」には納得しかねますが、「県立高田中央病院」なら別に違和感はありません。1950年の改称が「県立高田病院」ではなく「県立中央病院」なのは違うだろうという気にしかなれません。移転前の中央病院は大手町交差点の今は高田郵便局の区画にあったようです。この場所なら「高田の中央」であることに何の異論もないわけです。

中央病院跡地
移転前の病院(地理院タイルを加工)

「高田の中央」にあった病院が新南町に移転しても、「中央病院」の名前は変わらなかったために名称と実態が一致しなくなったわけです。成城にあった警察署が移転しても成城署を名乗っているのと同じことです。現実問題として、移転のたびに名称を変えるのは手続き的にも面倒です。

最初から「高田病院」なら何の問題もなかったのに、結果的に「中央病院」のネーミングが仇になったというありがちなパターンでした。

上越市中央は直江津駅前

ちなみに「上越市中央」は直江津駅前です。2018年8月撮影のストビューを埋め込みました。

コロナ禍の今は面会も制限されていますが、上越市の中央病院と聞いて「上越市中央」の直江津にお見舞いに行ったら、そこに病院はなかったというケースはあったに違いありません。

新潟県県立病院の所在地は次のとおりです。坂町病院の最寄駅は坂町駅で、病院の敷地の駅側は住所的にも「村上市坂町」です。

新潟県立妙高病院妙高市大字田口
新潟県立中央病院上越市新南町
新潟県立松代病院十日町市松代
新潟県立柿崎病院上越市柿崎区柿崎
新潟県立十日町病院十日町市高田町
新潟県立精神医療センター長岡市寿
新潟県立加茂病院加茂市青海町
新潟県立津川病院阿賀町津川
新潟県立吉田病院燕市吉田大保町
新潟県立がんセンター新潟病院新潟市中央区川岸町
新潟県立新発田病院新発田市本町
新潟県立リウマチセンター新発田市本町
新潟県立坂町病院村上市下鍜冶屋(最寄駅は坂町駅)
▲新潟県の県立病院

十日町病院は「十日町市高田町」にあります。ひょっとすると、ここがかつて高田町病院だったために、重複回避のために「中央病院」が湧いたのかもしれません。念のために調べてみましたが、十日町病院は最初から十日町病院でした。

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