1931年の法大が端緒
菅平(すがだいら)と言えばラグビー合宿が有名です。いつから始まったのか、検索してみると簡単に見つかってしまいました。
ラグビー合宿の聖地でもある菅平高原はその歴史も古く、昭和6年には法政大学が合宿に訪れています。当時は、冬季は多くの人がスキーに訪れるようになりましたが、冷涼な気候の夏にも訪れてもらいたいと、合宿地を探していた法政大学ラグビー部に相談を持ち掛けたことがきっかけとなり、翌年には早稲田大学が合宿を行うようになりました。
上田市>スポーツ合宿の聖地 菅平高原のあゆみ
法大ラグビー部は1924年創部です。一橋大(←東京商科大)とともに対抗戦グループに加入したのが1933年ですので、その2年前が初菅平だったことになります。2か月で畑をグラウンドに造成したということです。
今の相場は1泊3食付きで7000円前後のようです。50人で10日滞在すれば350万です。これは売上であって粗利益ではありません。造成費用のほうが高くついたに違いありませんが、その初期投資が合宿のメッカを育てたことになります。
2012年時点で菅平には108面のラグビーあるいはサッカーのグラウンドがあったそうです。ギネス申請する予定だという報道が見つかりましたが続報はなく、観光協会のWebサイトにも世界一との記載はありません。申請を断念したのか、申請したものの認定されなかったかのどちらかということになります。
須坂市の菅平グリーンゴルフクラブはクラブハウスが標高1560m台、4番ホールは1650m台で標高日本一のようです。
アメダス菅平
標高1253mのアメダス菅平は菅平スキー場の西側にあります。近くに建物はありますが、干渉する距離ではありません。2020年と2021年の観測値は次のとおりです。
年降水量 | 1283.0ミリ | 992位 | /1293地点 |
年平均気温 | 7.2℃ | 831位 | /922地点 |
年最高気温 | 29.5℃ | 907位 | /922地点 |
年最低気温 | -22.0℃ | 842位 | /922地点 |
年較差 | 51.5℃ | 112位 | /922地点 |
年平均風速 | 1.4m/s | 743位 | /921地点 |
年日照時間 | 1857.9時間 | 335位 | /841地点 |
年降水量 | 1364.0ミリ | 973位 | /1293地点 |
年平均気温 | 6.9℃ | 862位 | /921地点 |
年最高気温 | 28.4℃ | 918位 | /921地点 |
年最低気温 | -22.3℃ | 835位 | /921地点 |
年較差 | 50.7℃ | 161位 | /921地点 |
年平均風速 | 1.4m/s | 763位 | /920地点 |
2021年の最高気温は低いほうから全国4位です。1978年観測開始で気温が30℃に達したことは3日しかありません。ただ、標高も気温観測を伴う地点としては富士山、野辺山、奥日光に続いて4番目です。
最深積雪は2014年2月の152センチで、2022年2月は月最深積雪としては観測史上4位の127センチでした。
六連銭の真田家
アメダス菅平の所在地は上田市菅平高原です。ここは掛け値なしの高原です(→掛け値ありの「高原」)。もともとは真田家由来の真田町で、2006年に上田市・丸子町・武石村と合併しています。
最寄り駅となる上田の市街地にはアメダス上田があり、長野市には気象台があります。県境を越えた嬬恋村のアメダス田代も真田家の所領だったようです。4地点の7月と8月の平均気温と日最高気温の平年値は次のとおりです。
標高 | 7月平均 | 7月最高 | 8月平均 | 8月最高 | |
菅平 | 1,253m | 18.8℃ | 23.7℃ | 19.5℃ | 24.7℃ |
長野 | 418m | 24.3℃ | 29.7℃ | 25.4℃ | 31.1℃ |
上田 | 502m | 23.9℃ | 30.0℃ | 24.9℃ | 31.3℃ |
田代 | 1,230m | 19.1℃ | 23.7℃ | 19.6℃ | 24.3℃ |
標高差100mで気温は0.6℃違うと言われるわけですが、おおむねそれに近い気温差になっています。8月の日最高気温の平均が25℃に達しないなら、避暑地としては十分です。アメダス菅平で月平均気温の1位は2010年8月の21.0℃です。
上田交通・真田駅の跡地
1972年まで上田駅からの真田傍陽線(さなだそえひせん)という鉄道があったということです。必ずしも観光用というわけではなく、菅平高原で収穫された野菜やりんごなどを運んでいたようです。終点の真田駅は標高760m台で、上田駅と菅平高原の中間付近です。
1927年開業で赤字転落が1960年代ということですから、鉄道が物流の骨格を担っていた時代がたしかにあったわけです。2018年9月撮影のストビューを埋め込みました。
駐車場となっている部分が真田駅のホーム跡ということです。線路は国道のバイパスに化けており、踏切が解消されたわけですので、1972年なら廃線はむしろ歓迎されたのかもしれません。
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