三代の悲願、当選12回で未入閣の逢沢一郎代議士

8月10日に内閣改造が予定されています。どうやら今回も叶わないようです。

統一教会か、統一協会か

「世界平和統一家庭連合」の旧名称は「世界基督教統一神霊協会」です。「とういつきょうかい」と略されることが多いわけですが、その際の表記は今も昔も「統一協会」ではなく「統一教会」が多いようです。グーグル検索してみました。

統一教会約 55,400,000 件
統一協会約 21,700,000 件
“統一教会”約 55,600,000 件
“統一協会”約 2,720,000 件
▲Google検索件数

一般的には正式名称の配列が入れ替わってしまう略称はあまりありません。経団連の正式名称は「日本合会」です。経→団→連の順序は変わりません。独禁法は「私的占の止及び公正取引の確保に関する律」です。独→禁→法の順序に入れ替わりはありません。

「世界基督統一神霊協」を「統一教会」と略すのは日本語的にはよろしくないものと思われますが、報道では「統一教会」が多数派です。青山学院大のWebサイトでは少数派の「統一協会」表記が使われています。

近年、大学のキャンパスを中心に勧誘活動を行ない、多くの大学生をメンバーとする危険な宗教団体が存在します。かつて「統一協会(原理運動)」と言われた団体の後継団体や「摂理」などと呼ばれるもので、青山学院大学内でも活動しているようです。

青山学院大>サークルのふりをした危険な宗教団体に注意しよう!!

キリスト教系団体にとっては例の団体が「~教会」と称されることは迷惑千万という強い思いがあるのでしょう。また、日本共産党は一貫して「統一協会」表記です。

ただ、団体の英語表記が「Unification Church」であったことから、これを素直に翻訳すれば「統一教会」になってしまいます。このサイトでは「統一教会(統一協会)」もしくは「教団」を用います。

逢沢(あいさわ)家の悲願?

政治家と統一教会(統一協会)との関係について盛んに報道されています。岡山1区選出の逢沢一郎代議士は、4年前のイベントに出席して西日本豪雨への義援金のお礼とともに祝辞を述べたようです。逢沢一郎氏は当選12回で祖父の代からの三世議員です。

201937/04逢沢寛立憲民政党
211942/04逢沢寛(非推薦)当1
221946/04逢沢寛日本進歩党当2
231947/04逢沢寛民主党
241949/01逢沢寛民主党当3
251952/10逢沢寛自由党当4
261953/04逢沢寛自由党当5
271955/02逢沢寛自由党当6
281958/05逢沢寛自由民主党当7
291960/11逢沢寛自由民主党当8
301963/11逢沢寛自由民主党当9
311967/01逢沢寛自由民主党
1968/07逢沢英雄自由民主党
1974/07逢沢英雄自由民主党
341976/12逢沢英雄自由民主党当1
351979/10逢沢英雄自由民主党当2
361980/06逢沢英雄自由民主党当3
371983/12逢沢英雄自由民主党
381986/07逢沢一郎自由民主党当1
391990/02逢沢一郎自由民主党当2
401993/07逢沢一郎自由民主党当3
411996/10逢沢一郎自由民主党当4
422000/06逢沢一郎自由民主党当5
432003/11逢沢一郎自由民主党当6
442005/09逢沢一郎自由民主党当7
452009/08逢沢一郎自由民主党当8
462012/12逢沢一郎自由民主党当9
472014/12逢沢一郎自由民主党当10
482017/10逢沢一郎自由民主党当11
492021/10逢沢一郎自由民主党当12
▲逢沢一族の国政選挙

祖父・寛氏は衆議院当選9回、父・英雄氏は当選3回ですので、一族通算では当選24回です。日本新党以前の自民党長期政権下では当選5~6回が入閣適齢期と言われていました。今も状況はそれほど変わらず初入閣の相場はそんなところですが、一族24回当選でまだ大臣経験はありません。

松下政経塾1期生

逢沢一郎氏は松下政経塾の1期生でもあります。卒塾生としては初めての国会議員でした。同期の野田氏は元首相の1人です。

氏名党籍主な経歴
1逢沢一郎自民衆12★
1野田佳彦立憲衆9★、首相、財務相
2松原仁立憲衆8★、国家公安委員長
2山田宏自民衆2・参1★、杉並区長
3松沢成文維新衆3・参1★、神奈川県知事
4原口一博立憲衆9★、総務相
5高市早苗自民衆9★、総務相
6河井克行衆7、法相
8玄葉光一郎立憲衆10★、外相
8前原誠司国民衆10★、外相、民主党代表
9松野博一自民衆8★、文科相、官房長官★
10中田宏自民衆4・参1★、横浜市長
11小野寺五典自民衆8★、防衛相
11福山哲郎立憲参4★、立憲幹事長
13村井嘉浩自民宮城県知事★
23三日月大造衆4、滋賀県知事★
21山本朋広自民衆5★
30丸山穂高NHK衆3
▲松下政経塾の主な卒塾生(★印は現職)

「マザームーン」連呼の山本朋広氏は当選5回すべて比例復活です。

小選挙区で連続9回当選

衆議院に小選挙区が導入されたのは1996年の第41回総選挙です。小選挙区で9連勝しているのは18人しかいません。

氏名小選挙区生年初当選初入閣年数
麻生太郎14福岡8区194019791996橋本内閣で経企庁長官17
二階俊博13和歌山3区193919831999小渕内閣で運輸大臣16
石破茂12鳥取1区195719862002小泉内閣で防衛庁長官16
逢沢一郎12岡山1区19541986(未入閣)
村上誠一郎12愛媛2区195219862004小泉内閣で特命大臣18
中谷元11高知1区(2区)195719902001小泉内閣で防衛庁長官11
細田博之11島根1区194419902002小泉内閣で沖縄北方大臣12
森英介11千葉11区194819902008麻生内閣で法務大臣18
岡田克也11三重3区195319902009鳩山内閣で外務大臣19
安倍晋三10山口4区195419932005小泉内閣で官房長官12
岸田文雄10広島1区195719932007安倍内閣で特命大臣14
茂木敏充10栃木5区195519932002小泉内閣で特命大臣9
菅義偉9神奈川2区194819962006小泉内閣で特命大臣10
河野太郎9神奈川15区196319962015安倍内閣で特命大臣19
下村博文9東京11区195419962012安倍内閣で文科大臣16
棚橋泰文9岐阜2区196319962004小泉内閣で特命大臣8
平沢勝栄9東京17区194519962020菅(義)内閣で復興大臣24
安住淳9宮城5区196219962011野田内閣で財務大臣15
▲小選挙区連続9回当選

初入閣は抜擢されれば当選3~4回、初当選からの年数で10年程度ですが、おおむね15~20年で順番が回ってくるものです。

逢沢氏は森内閣当時の2000年、野党提出の内閣不信任案に欠席した自民党議員41人の1人です(岸田首相も)。この「加藤の乱」のあと、宏池会は古賀派と谷垣派に分裂し、岸田氏は前者、逢沢氏は後者に属することになります。

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