オウム真理教の後継団体(アレフ、ひかりの輪)

地下鉄サリン事件

駅のゴミ箱の封鎖・撤去されたりコインロッカーが使用中止になったりした最初のきっかけは、1995年3月20日の地下鉄サリン事件だったと私は記憶しています。

当時の私の通勤ルートは、三田線→半蔵門線→銀座線→東横線という小刻みな乗り換えでした(副都心線が予算化されたのは1998年です)。私は事件発生後に家を出ていますが、まだニュースにはなっていませんでした。

サリンが撒かれた日比谷線、丸ノ内線、千代田線のどれにも縁はありません。普通に出勤したはずです。ポケベルが携帯電話に変わりかけていた時代でした。地下鉄を使って山手線の内側からその職場に通っていたのは私だけです。

途中の中目黒駅で日比谷線が止まっているらしいことには気づいていました。それ以外は何も知らないまま会社に着きました。始業前の社内はTV備え付けの応接に全員集合状態でした。どうやら私が神保町で乗り換えた頃、3.5キロ離れた聖路加病院ではパニックが始まりかけていたようです。

翌日から麻原教祖が逮捕されるまでの2か月間、スポーツ紙の1面はほぼオウム関連で占められました。事件後のプロ野球では入場前の所持品検査が当たり前になりました。4月の東京ドームでは隣の列で水筒がアウト(預かり)でした。

まだサリンが残っているかもしれず、液体に関しては過剰に厳しい対応だった時期です。私は常温のペットボトルをタオルにくるんで鞄の奥にしのばせておきましたがセーフでした。球場内の自販機で買った紙パックしか飲みませんでしたけど…。

オウム後継団体

オウム真理教は解散命令から破産手続を経て、破産管財人がその名称の使用を禁止したことで「アレフ」を名乗ります。ちなみに「びっくりドンキー」の運営会社が株式会社アレフに商号変更したのは1987年5月です。

1996年1月オウム真理教の解散命令が最高裁で確定
1999年12月団体規制法(オウム新法)が施行
2000年2月「宗教団体・アレフ」として再編、団体規制法による観察処分適用
2002年10月石井紘基代議士が自宅前で刺殺
2003年2月「アーレフ」に改称、観察処分が延長(以後3年ごとに更新)
2003年5月東京道場に銃弾が撃ち込まれる
2004年2月松本智津夫被告に死刑の一審判決
2004年9月分派「ケロヨンクラブ」で女性信者暴行死事件
2007年5月分裂した上祐派が「ひかりの輪」を設立
2008年5月主流派の「アーレフ」が「Aleph」に改称
2013年11月右翼団体の街宣車が足立区の拠点施設に突っ込む
2014~15年Aleph金沢道場が分派化(「山田らの集団」)
2016年9月ロシア最高裁がテロ組織認定
2017年3月滋賀県湖南市の関連会社で出火し2棟が全焼
2018年7月松本死刑囚らの死刑執行
2022年5月アメリカ国務省が海外テロ組織としての指定を解除
2023年3月公安審査委員会が「Aleph」に対して再発防止処分
▲オウムのその後

団体規制法(無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律)は3団体に適用されています。再発防止処分は今年3月に主流派「Aleph」に対して初めて適用されました。

Aleph

処分の期間は半年で、処分の内容は(1)施設の全部または一部の使用禁止、(2)贈与を受けることの禁止です。違反に対しては罰則(2年以下の懲役または200万円以下の罰金)も設定されています。

最大規模とされる札幌の道場は一部使用禁止です。

アレフ札幌白石道場

水戸道場は全部使用禁止です。

アレフ水戸道場

まるで廃墟ビルですが、名古屋道場も一部使用禁止です。

アレフ名古屋道場

山田らの集団、ひかりの輪

金沢道場はいつしか独自の道を歩むようになったようです。公安調査庁は主宰する女性信者の姓から「山田らの集団」と呼んでいます。この住宅地で、夜間にオウムソングの合唱は勘弁してくれということにしかなりません。

山田らの集団

上祐派の「ひかりの輪」は南烏山が本拠です。1Fが道場で、2階は信者の住居だそうです(3階以上は一般住民)。その斜向かいには公安調査庁の詰所があります。右隣は住民の監視小屋です。

これとは別に「南烏山警察官詰所」も設置されています。なお、今の上祐氏の麻原氏に対する評価は「一種の精神病患者」ということです。

【外部リンク】
■株式会社アレフ>社名・店名由来
■公安調査庁>再発防止処分決定の概要
オウム真理教家族の会

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