維新には除名なら議員辞職という誓約書がある?

ムネオハウス

俗に「ムネオハウス」として有名な「日本人とロシア人の友好の家」は国後島の古釜布(ふるかまっぷ、ユジノクリリスク)にあります。1999年竣工です。今では観光客向けのゲストハウスとして運用されているようです。

国後島のムネオハウス

このムネオハウスは日本政府の予算で建てたものです。2002年に起訴された当時の鈴木宗男代議士の第一秘書と建設に関わった会社社長5名が偽計業務妨害で有罪が確定しています。宗男氏は同年6月の国会会期中に別件の斡旋収賄で逮捕されました。

逮捕の2日後には辞職勧告決議案が可決されますが、もちろん宗男氏は辞職しませんでした。宗男氏は最高裁まで争い、2010年に最高裁が上告を棄却して2年の実刑が確定しました。収監されたのは栃木県さくら市の喜連川(きつれがわ)社会復帰促進センターです。

喜連川社会復帰促進センター

ロシア訪問

さて、金曜日を期限として提出を求められている書類がまだ出来上がっていないとします。金曜の夕方遅くに「○○を送ります」をメールして添付忘れを装うのは最後の手段です。どうせ土日が休みなら、金曜の夕方だろうが月曜の朝だろうが変わりはありません。

土日で仕上げて月曜に「再送」すれば、期限には間に合っていたと主張できなくもないわけです。何度も使える手法ではありませんが、それほど信頼を損ねる行為でもありません。9月1日の始業式後に夏休みの宿題を片付けるようなものかもしれません。

鈴木宗男氏のロシア訪問は10月1~5日です。9月29日の金曜日、宗男氏の秘書は維新の党本部に渡航届を持参したようですが、事務所が閉まっていて渡せなかったということです。参議院には提出したということですので、わざと閉まっている時間に行った(ことにした)のではないかとも思われます。

この時代にペーパーが必要なのかという不自然さも感じなくはありません。馬場代表に断りの電話を入れるだけでもよかったはずです。渡航届を事前に提出しなかったことが、宗男氏も認める「事務手続き上の瑕疵」です。

で、日本に残った秘書が維新に対して渡航届の提出したのは出発後の10月2日になりました。届け出が遅れた(あるいは故意に遅らせた)のは些末なことで、それが除名相当に値するとは思えません。罪と罰のバランスが悪すぎます。

宗男氏は2日にロシアのルデンコ外務次官と会談し、10月4日には国営通信社「スプートニク」から「ロシアの勝利を何の懸念もなく100%信じております」と発言する動画が公開されます。

誓約書があったらしい

宗男氏は国内でも同様の発言をしていると言いますが、
(1)わざわざ渡航して国営メディアに語って公開されること、と
(2)国内で取材を受けて公開されること、と
(3)折衝や会談の席でリップサービスとして述べること
との間にはそれぞれに距離があろうと思われます。同一視はできないはずです。

ここから話が妙な方向に発展し、宗男氏が理解しがたい主張を始めます。宗男氏は100%発言が理由で除名されるなら裁判も辞さないと言い始めるのです。政党の中で意見が一致しないのなら、出て行ってくれという話に発展しても仕方がありません。裁判に委ねるようなことではありません。

国会議員を辞めろという話なら、たしかに「民主主義の根幹を揺るがす」問題ではあります。除名は必ずしも議員辞職が求められるものではありませんが、維新では除名の際には議員辞職する旨の誓約書を集めているようです。なるほど、そういうことなら話が理解できます。

その誓約書にそこまでの効力があるとは思えませんが、宗男氏は除名によって議員辞職を求められると反発していたものと思われます。とはいえ、かつて議員辞職勧告決議案が採択されたとき辞職を拒否した実績を持つ宗男氏ですから、たかが誓約書に縛られることもないはずです。

誓約書の件は外部には伺い知れない話です。宗男氏がそんな一筆を入れていることは知りようがありません。そこを説明してくれれば少しは話が見えるのです。

議員外交は否定されることではないでしょうし、こんなときだからこそパイプを残したいという宗男氏の姿勢はむしろ評価されるべきです。そうは思いますが、自分の主張ばかりが先行して説明が追い付かない宗男氏に、交渉ごとは任せられないものかもしれません。

ムネオハウスで日本語を習っていたそうです(↑)。

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