大正末期の理髪店サインポール

開拓村のサインポールは左上がりのS字巻

札幌市厚別区を“「別」と「内(ない)」の市町村MAP”に入れていませんでした。指定都市の行政区は基礎自治体ではないからです。私はてっきり厚別町として入っているものと思っていましたが、もともとは白石村だったようです。

白石村は1950年に札幌市に編入され、1972年の五輪直後に政令指定都市に移行したとき白石区になっています。白石区からの分区は1989年だそうです。新札幌副都心を抱える厚別が入っていないのは具合が悪いため、追加しておきました。

その厚別区の「北海道開拓の村」には大正末期に建てられたという理髪店が移築されています。建物の内部では蝋人形が髭を剃られているシーンが再現されているようですが、サインポールは角材に塗色したものです。

サインポール・メーカーのWebサイトを見ると、右上がりのZ巻きが圧倒的大多数です。開拓村の旧・山本理髪店のポールは左上がりのS字巻きになっています。発注ミスなのか、あえてなのか、ペンキ屋さんの誤解なのか、気になります。

常盤橋公園の常磐橋

さて、斎藤月岑の「武江年表」には、明治4年(1871年)4月の項に次の記述があります。これがサインポールに関する日本最古の記述のようです。「左巻」ならSの字巻きになります。昔は左上がりのS字巻きが多かったのかもしれません。

常盤橋御門外篦頭舗に、西洋風髪剪所の招牌を出す、太き棹の頭に宝珠の形を彫り、右の棹へは朱白藍色の左巻といふ塗分けにして立る、これより諸方にこれに擬して一般の形状となれり

斎藤月岑「武江年表」

▲リンク先は国会図書館デジタルコレクションです。コマ番号200の左のページ(389ページ)3~4行目になります。

常盤橋は日本銀行本店前の日本橋川に架かる橋です。道路元標のある日本橋から上流に3本目が常盤橋、4本目も常橋(歩行者専用)、5本目が新常盤橋です。

常盤橋
常盤橋(地理院タイルを加工)

明治4年に存在していた「常盤橋」とは、地理院地図に「常盤橋門跡」と記してある4本目の「常磐橋」のほうです。常盤橋公園と日銀の旧館を結ぶ橋です。明治4年の時点では木製の橋だったようです。

日本橋川に架かり、常盤橋公園から日本銀行側に通じる橋です。大正15年(1926)12月の架橋。長さ41.3m、幅27.8mのコンクリート橋。
江戸時代の常盤橋門の跡にあります。始めは天正18年(1590)に架けられたといわれ、三代将軍家光の頃までは大橋とも浅草口橋とも呼ばれていました。改名の上意を受けた町年寄奈良屋市右衛門は、寄宿の浪人から「常磐」の名を得て、これを献上しました。それは『金葉和歌集』の「色かえぬ松によそえて東路の常磐の橋にかかる藤浪」の意であるといわれています。現在の石橋は、枡形に用いた石を使って、明治10年(1877)に架けられました。神田川の眼鏡橋がなくなりましたから、区内では皇居の「石橋」とともに貴重な石橋ですが車は通れません。銘板には「常磐橋」と刻んであります。

千代田区観光協会>常磐橋

東日本大震災で被災し長らく通行止めでしたが、2020年秋に修復工事が完了しています。新しい銘板も「常橋」のようです。

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