野田は「ごき」、中津川は「ごぼく」
東武野田線の七光台駅から川間駅にかけて、(野田市)五木、五木新町、五木新田の地名があります。
一般的には「五木」は「いつき」と読んでしまいがちですが、読みは「ごき」です。2019年7月撮影のストビューを埋め込みました。
岐阜県中津川市川上には「五木のやかた・かわうえ」という名称の道の駅があります。こちらは「ごぼく」と読みます。
木曽五木(ひのき、あすなろ、ねずこ、さわら、こうやまき)の尺角柱が使われており、川上川が眼前に流れ山々に囲まれた自然いっぱいの道の駅です。
国土交通省 中部地方整備局>道の駅 岐阜県>五木のやかた・かわうえ
「五木」の由来
歌手・五木ひろしの芸名は作家・五木寛之にちなむものです。
苗字の「五木」は山口が五木寛之から頂戴した。また、「いいツキをひろおう」という意も入っている。
Wikipedia>五木ひろし
五木寛之はペンネームではなく戸籍名です。旧姓は「松延」で、複数のサイトには「本名・松延寛之」と示されていますが、跡継ぎがいなかった奥さん側の親戚の姓を受け継いだもののようです。福岡県八女郡の出身ということですので、熊本県五木村とはつながりません。
1878年創業の麺類の食品メーカー・五木食品株式会社は五木村由来です。「アベックラーメン」が有名ですが、主力商品に「五木そば」があります。
熊本県五木村。「五木の子守唄」で知られるこの土地は、霧が深く朝夕に冷え込み、日中の温度が上昇することから、風味豊かなそばが生まれる、いわばそばの聖地でもあります。
五木食品株式会社>会社理念
麺づくり一筋の五木食品の名前はそんなところに由来しています。
五木村の「五木」については、熊本県のWebサイト内に次のような記述があります。
御器が流れてきたことにより発見された村であるから「御器」とよばれ、それが「五木」になったとも、五つの館によって統治されていたから「五城」とよばれ、それが「五木」になったともいわれている。<略>
熊本県庁>五木村
さらにまた、落人が居ついた所であるから「居付」あるいは「居築」と呼ばれ、「五木」となったという説もある。
「御器」は「ごき」と読みます。蓋付きのお椀です。「御器」をあえて「五木」と書いて、わざわざ「いつき」に読み替えた地名が定着したとする説は、にわかには信じられません。八十八歳の爺さんに子供ができたから米子よりはましかもしれませんが…。「五城」と「居付(居築)」は、五家庄(五家荘)や平家落人伝説に連なります。
アメダス五木
五木村役場の近くにあるアメダス五木は雨量のみの観測所です。2020年の年降水量は4134.5ミリで全国17位でした。
アメダス五木は1981年の観測開始ですが、2012年3月に移転しているようです。過去3年の月別降水量をグラフ化してみました。
2020年7月の降水量は2018年や2019年の約2倍です。もちろん月間降水量としては観測史上1位です。2位が2015年6月の1028.5ミリですので、圧倒的な1位でした。
電子基準点
アメダス五木の近くにロケット型の柱が立っています。2013年11月撮影のストビューを埋め込みました。
何やら見覚えがないわけでもありません。形状が少し異なりますが、北海道のアメダス鶴居の近くにあった「謎の構造物」と同じ目的のもののように思われます。両者は同じ雰囲気を醸し出しています。画像検索してみたところ、これは国土地理院が設置した電子基準点(GPS地殻変動観測施設)でした。
上部の白い半球の中に衛星からの電波を受信するアンテナが収納されているそうです。全国に約1300か所あるそうですが、設置場所の多くは小学校です。学校は樹木に囲まれていることが多く、ストビューでは中の様子を窺うことができません。簡単には目につかないはずです。
考えてみれば、気象庁と国土地理院は親戚のようなものです。1872年に設置された日本最初の気象観測所は工部省測量司の所管でした。今の国土地理院です。その後は分離し、気象庁は文部省から運輸省に移管されました。軍部に吸収された国土地理院は内務省から建設省所管になりました。
2001年の中央省庁再編で国土交通省が発足しましたので、気象庁は国交省の外局となり、国土地理院は国交省内の機関となりました。両者は100年以上の時を経て「再会」したわけです。アメダス観測所に近接して電子基準点が設置されていても何の不思議もありません。土地登記簿上では同一地番で地目は「内務省用地」なのかもしれません。
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