松島町磯崎磯島→松山町長尾
「ワッキーの地名しりとり」で、宮城県松島町・カキ加工場に勤務する殻剥きおばさんは「磯島」の「ま」を「松山」につなぎます。この松山とは、愛媛県松山市ではなく2006年の合併で大崎市となった番組放映当時の宮城県松山町です。JR東北本線では松島駅の4つ北に松山町駅があります。

四国の松山を覚悟していたワッキーは、思わず「えっ、宮城県にもあるんだ。松山って」という安堵の声を漏らします。たしかに、松山という地名は全国各地にありそうです。沖縄の代表的繁華街は松山です。沖縄が埋まっているなら、「松山」の全国制覇はあり得ないことではありません。
樹木としてのマツは日本全国に広く分布しています。桜島の大正噴火で流れた溶岩地帯は今ではクロマツの林です。荒れ地でも育ち、冬枯れしないマツは縁起物として正月飾りの門松に用いられます。マツと砂浜による「白砂青松」は日本人好みの原風景です。
マツが自生する山は腐るほどあるはずです。「松山」と名付けられてしまいかねない山は全国で100を下るとは思えません。山岳名や小字を含んでよければ、「松山」の地名は全都道府県にあるかもしれないと思って調べてみました。
小中高校、郵便局、駐在所
まず、地理院地図で「松山小学校」「松山中学校」「松山高等学校」「松山郵便局」「松山駐在所」を検索してみました(この検索方法では、松山東高校や松山中央郵便局はヒットしません)。
小学 | 中学 | 高校 | 郵便局 | 駐在 | |
宮城県大崎市 | 松山 | 松山 | 松山 | 松山 | 松山 |
山形県酒田市 | 松山 | 松山 | 松山 | ||
福島県喜多方市 | 松山 | ||||
栃木県さくら市 | 上松山 | ||||
埼玉県東松山市 | 松山 | 松山 | 東松山 | ||
埼玉県ふじみ野市 | 上福岡松山 | ||||
東京都清瀬市 | 清瀬松山 | ||||
愛知県豊橋市 | 松山 | 豊橋松山 | |||
愛知県春日井市 | 松山 | ||||
岡山県高梁市 | 松山 | ||||
香川県坂出市 | 松山 | 松山 | |||
長崎県長崎市 | 長崎松山 | ||||
宮崎県宮崎市 | 宮崎松山 | ||||
鹿児島県志布志市 | 松山 | 松山 | 松山 | ||
鹿児島県南九州市 | 松山 |
というわけで、全国に松山小学校は8校、松山中学校は3校、松山高校は3校です。あまり上出来とは言えないかもしれません。完全制覇は難しそうです。
富山県と徳島県で見当たらず
残念ながら、富山と徳島で「松山」の地名が見当たらず47都道府県完全制覇にはなりませんでした。
北海道 | 大樹町松山町 | 滋賀 | 大津市松山町 |
青森 | むつ市松山町 | 京都 | 亀岡市 山牛松山 |
岩手 | 宮古市松山 | 大阪 | 八尾市松山2丁目 |
宮城 | 大和町 山千本松山 | 兵庫 | 西宮市松山町 |
秋田 | 由利本荘市松山 | 奈良 | 高取町松山 |
山形 | 上山市松山3丁目 | 和歌山 | 広川町 山鳥松山 |
福島 | 福島市松山町 | 鳥取 | 鳥取市 山久松山 |
茨城 | 稲敷市松山 | 島根 | 安来市 山独松山 |
栃木 | 真岡市松山町 | 岡山 | 美作市 山赤松山 |
群馬 | 川場村 山浅松山 | 広島 | 呉市 山吉松山 |
埼玉 | ふじみ野市松山2丁目 | 山口 | 宇部市松山5丁目 |
千葉 | 匝瑳市松山 | 徳島 | (見当たらず) |
東京 | 清瀬市松山3丁目 | 香川 | (松山小学校) |
神奈川 | 厚木市 山高松山 | 愛媛 | 今治市 山松山 |
新潟 | 村上市松山 | 高知 | 土佐市塚地松山 |
富山 | (見当たらず) | 福岡 | 福岡市城南区松山 |
石川 | 加賀市松山町 | 佐賀 | 唐津市肥前町星賀松山 |
福井 | 永平寺町 山二本松山 | 長崎 | 大村市松山町 |
山梨 | 富士吉田市松山5丁目 | 熊本 | 宇土市松山町 |
長野 | 上田市 山松山 | 大分 | 日田市庄手松山 |
岐阜 | 岐阜市松山町 | 宮崎 | 延岡市松山町 |
静岡 | 浜松市天竜区 山枝松山 | 鹿児島 | 南九州市知覧町塩屋松山 |
愛知 | 一宮市松山町 | 沖縄 | 那覇市松山2丁目 |
三重 | 菰野町大強原松山 |
香川県坂出市には松山小学校や松山駐在所がありますが、その所在地は「坂出市高屋町」です。なぜ松山なのだろうと思って調べてみると、1956年に松山村が北に隣接する王越村とともに坂出市に編入されています。
坂出市の旧・松山村
松山村はもともと1890年に高屋村(たかやむら)、青海村(おおみむら)、神谷村(かんだにむら)の合併で発足しています。今度はこの3村の合併でなぜ松山村を名乗ったのか気になりますが、どうやら古い地名の「松山の津」に由来するようです。
1156年(保元元年)の保元の乱に敗れた崇徳上皇は速攻で讃岐に流されます。そのとき上陸したのが「松山の津」だったようです。崇徳上皇が残したとされる和歌です。
浜千鳥 跡は都に 通よへども 身は松山の 音をのみぞ鳴く
上皇上陸の地である「松山の津」を合併時の新村名に採用したということのようです。「松山の津」の石碑が設置されているのは、旧・松山町役場から徒歩10分ほどです。

「松山の津」の石碑は県道沿いです。2021年4月撮影のストビューです。
旧・村役場の庁舎は公民館として現存しているようです。
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