諏訪之瀬島の居住区域と火口の間には御岳山頂の壁

居住区域は火口から3キロ以上

諏訪之瀬島の御岳(おたけ)は日常的に噴火活動を継続しています。桜島に準ずるクラスですが、それほど有名でないのは、単に周辺人口が少なく映像も残らないからだろうと思われます。2021年12月12日時点で噴火警戒レベル3(相当)は、桜島と諏訪之瀬島、それに西之島と福徳岡ノ場です。

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■気象庁>噴火警報・噴火速報

警戒レベル2で火口から1キロ以内、レベル3で2キロ以内の立ち入り制限がかかりますが、諏訪之瀬島の居住区域は火口から水平距離で3キロ以上離れています。諏訪之瀬島はトカラ列島で面積は2番目に大きい島ですが、居住区域は島の南部のごく一部に限られていて島内の周回道路もありません。

諏訪之瀬島
諏訪之瀬島(地理院タイルを加工)

諏訪之瀬島の居住区域は小中学校から地図上の電子基準点のマークまでの一帯です。標高は100m前後です。アメダス観測所は少し高台にあって居住区域から外れています。

御岳山頂の三角点は標高796mですが、噴火口は山頂の北400mほどにあり標高は500m程度です。火口と居住区域の間には最大で高さ300mの壁が存在することになります。御岳が溶岩流出を伴う爆発的噴火を起こしたとしても、溶岩が南の居住区域に流れてくる可能性は低いわけです。

アメダス諏訪之瀬島

火砕流は東に行きそうですし、もし山体崩落が起きても谷は村営フェリーが発着する切石湾方向に伸びています。新たな噴火口が出現すれば話は別ですが、さほど差し迫った脅威はなさそうです。2020年の噴火回数は764回ですが、これだけ小出しに放出されていれば蓄積されないので逆に安心だという見方もできなくはありません。

1813年(文化10年)の大規模噴火では溶岩流が西海岸に達し、住民が全島避難して諏訪之瀬島は無人島になります。70年後の1883年(明治16年)に奄美大島の藤井富伝ら26人が入植しますが、運悪く翌1984年に御岳は溶岩流を伴う噴火で歓迎したようです。溶岩流を伴う噴火は1925年(大正14年)にも発生しています。

諏訪之瀬島の居住区域

残念ながらストリートビューがありませんので、アメダスの観測露場を厳密に特定することはできませんでした。この縮尺ならマーカーの位置です。2020年の総雨量は3469.5ミリで全国61位でした。中之島ほどではありませんが、西隣の平島(たいらじま)より若干多くなっています。

作地温泉と諏訪之瀬島空港

諏訪之瀬島唯一の温泉が作地(さくち)温泉です。Google Mapでは「海中温泉」として表示されている作地温泉に行く道はありません。県のWebサイトには次のように紹介されています。施設は何もないと明記されています。

車、徒歩のみでのアクセスは不可。漁船などで移動し、道なき道を移動。※ガイドが必要

鹿児島県>作地温泉

トカラ列島へのアクセスは鹿児島港と名瀬港を週2往復する村営フェリーに限られています。まず島に上陸すること自体が容易ではありません。そのうえ、どうやら満潮時には水没するようで、漁船をチャーターしても期待したものとは違うかもしれません。

マリンスポーツ用のシューズと手袋は必須だそうです。岩場を歩くか、場合によっては泳がなければ辿り着けないというタフな秘湯です。これが県のサイトに取り上げられているということは、それだけ諏訪之瀬島に観光スポットがないということでもあります。

衛星写真で見える滑走路は、1970年代にヤマハさん(ジュビロではなく楽器)がリゾート開発を試みた際に建設した諏訪之瀬島飛行場だそうです。800mクラスです。現在は十島村が管理していますが、もちろん定期便はありません。三島村の硫黄島や沖縄の伊是名島と同じ「場外離着陸場」です。

西側の港はかつて村営航路が発着していた、その名のとおりの元浦港です。天候によって切石港の補完港として今でも使われています。最悪の場合の脱出拠点は比較的安全な複数箇所が確保されていることになります。

「諏訪」のつく地名は各地にありますが、諏訪之瀬島が南端です。悪石島との間の諏訪之瀬水道が地理院地図上の最南端になります。由来についてはわかりませんでした。島唯一の神社は八幡神社です。

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