大阪の公儀橋(日本橋、京橋、天神橋)

「日本橋1丁目」を略して「日本一」

大阪の日本橋(にっぽんばし)は道頓堀川に架かる堺筋の橋です。東京の日本橋同様、江戸時代は幕府管理の公儀橋(御入用橋)でした。

橋長幅員河川現存橋
大阪29m28m道頓堀川1969年
東京49m27m日本橋川1911年
▲東京と大阪の日本橋

町域としての日本橋は橋の南側です。大阪市の丁目は市役所に近いほうが1丁目です。2丁目まで中央区、3丁目以降は浪速区になります。地下鉄と近鉄の駅は1丁目交差点にあります。

この交差点には、かつては「日本橋1丁目」を略した大手都市銀行の日本一支店がありましたが、住友はATM化され、三菱は難波駅前に統合移転しています。今も残る派手な「日本一」看板は「日本一モータープール」ぐらいかもしれません。

日本一モータープール

オタロード

2丁目には黒門市場があり、浪速区に入る3丁目以降が電気街です。廃れた感は否定できませんが、アナログ・レコード店や電気工具店などに面影が残ります。

日本橋と駅と町域
日本橋と駅と町域(地理院タイルを加工)

赤が日本橋、青が駅、ピンクの囲みが日本橋の町域です。浪速区側の堺筋アーケード商店街(でんでんタウン)には、NEC、SHARP、SONY、FUJITSU、Panasonic、HITACHI、JVC KENWOOD、MITSUBISHI ELECTRICの看板が寂しげに残っています。

代わりに活況を呈しているのが、緑のオタロードです。20年ほど前は単にオタク通りと呼ばれていたはずですが、いつの間にかオタロードで定着しています。オタロードは南海なんば駅、電気街は地下鉄恵美須町駅が最寄り駅になります。

京橋駅から10分かかる京橋

京橋も大阪の公儀橋の1つです。今の大阪市中央区は1989年の東区と南区の合区によって成立しています。1989年とは平成元年であり、昭和の時代には中央区はありませんでした。私は東区京橋1丁目に行こうとして京橋駅で降りたことがあります。

京橋駅付近に京橋1丁目はありませんでした。時間に余裕があったので、京橋駅から(当時の)京橋1丁目まで歩きました。15~20分ぐらいでした。

そのときに京橋という橋があるのに気づきました。京橋は大川に合流する前の寝屋川に架かる橋です。江戸時代には東海道五十七次の終点がこの京橋だったようです(渡ると遠回りになるので横目で見ただけです)。

京橋駅と京橋
京橋駅と京橋(地理院タイルを加工)

青がJRと京阪の京橋駅、赤がBridgeとしての京橋、紫の星印は「旧町名継承碑(京橋1~3丁目)」です。今の天満橋駅付近がかつての東区京橋です。今では大阪に京橋という町域名はありません。ちなみに、東京ではBridgeとしての京橋は川が埋め立てられているため現存しません。

天神橋

「天神橋」は大川と土佐堀川を中之島ごと渡る橋梁の名称です。大阪市役所のある中之島に架かる最東端の橋となります。この天神橋は徒歩なら中之島に降りることができます。

江戸時代元禄年間に架橋され、当初は大阪天満宮が管理していたため天神橋と呼ばれるようになったそうです。その後、幕府管理の公儀橋となります。

天神橋の南詰が土佐堀通と交差する「天神橋交差点」、北詰は「天神橋北詰交差点」です。南詰の天神橋交差点以北は「天神橋筋」、以南は「松屋町筋(まっちゃまちすじ)」の通称で呼ばれています。行政上は同じ「大阪市道天神橋天王寺線」です。

天神橋
天神橋(地理院タイルを加工)

「天神橋」の橋梁名は行政区画としての町域名称にもなっています。大阪市北区「天神橋」の町域は大川沿いの天神橋1丁目から大阪天満宮を含み、淀川手前の天神橋8丁目まで南北3キロに及ぶ細長い形状です(紫の囲み)。もともとは「天神橋」の町域名でした。

このため、Bridgeとしての「天神橋」から約3キロ離れた淀川沿いの天神橋8丁目に「〇〇天神橋」というマンションがあったります。それどころか、天神橋8丁目の隣の長柄東3丁目にも「〇〇天神橋」という集合住宅があります(茶色の✕印)。調布市入間町の「〇〇成城」のようなものかもしれません。

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