神戸の湊川神社
湊川神社は楠木正成を祀る神社ですが、その創建は比較的新しく明治5年です。後醍醐天皇の忠臣だったことに対する明治政府の評価なのでしょう。九州に下っていた足利尊氏&足利直義兄弟の東進を楠木正成と新田義貞が迎え撃ったのが1336年5月の「湊川の戦い」です。
神社の名称「湊川」はもちろん地名由来ですが、川のつく地名は厄介です。川は上流もあれば下流もあります。治水対策がお粗末だった時代は氾濫のたびに川はそのルートを変えているわけです。湊川神社の800m西には湊川公園があり、神戸電鉄の湊川駅と市営地下鉄の湊川公園駅があります。
新神戸から地下鉄で湊川神社に行くなら、湊川駅の1つ手前の大倉山駅で降りるのが正解です。ただ、「湊川店」を名乗っている商業施設の多くは、湊川駅周辺から住居表示としての湊川町にかけてですので、一般的に「湊川」と言えば、湊川公園付近を指すようです。
度重なる氾濫で天井川となった湊川は1901年に付け替えられ、天王谷川と石井川との合流点から下流が「新湊川」と呼ばれています。地図の青線部分です。途中が途切れているのは掘削した隧道を通しているからです。会下山(えげやま)トンネルと言うようです。
町域名としての神戸市兵庫区湊川町は10丁目までありますが、新湊川が始まる合流点の西岸が1丁目で、トンネルの終わりが10丁目になります。湊川神社から湊川町10丁目まで2キロの距離があるのです。
湊川大橋
国道2号線上の阪神高速3号神戸線と、31号神戸山手線(神戸長田トンネル)のJCTは、新湊川に架かる湊川大橋に設置されています。湊川神社から湊川大橋まで直線で3.4キロあります。車でも10分の距離です。
「湊川」とは、JR神戸線で言えば神戸駅から兵庫駅を経て新長田駅に至る結構な広範囲を指す地名でもあるわけです。
さて、神戸市立楠高校Webサイトの「沿革」はきわめて充実しています。楠高は湊川駅のすぐ北西にあり、市立湊川中と校舎を共有している定時制高校です。
1943/06/22 | 「神戸市立第二女子商業学校」として独立 |
1944/03/31 | 校舎を県立医専に提供、中央区北長狭通4(神戸中学校)に移転 |
1945/03/17 | 空襲で木造校舎が焼ける |
1945/06/05 | 空襲で鉄筋校舎が焼ける |
1945/09/05 | 校舎接収で、中央区中山手通4(諏訪山小学校)に移転 |
1945/11/26 | 疎開児童帰神で、須磨区千歳町2(千歳小学校)に移転 |
1948/04/01 | 学制改革で「神戸市立楠商業高等学校」 |
1948/05/25 | 中央区楠町5(市立湊川高等学校)に移転 |
1949/04/01 | 「神戸市立楠高等学校」に改称 |
1年で消滅した楠商
1943年に神戸第二女子商が開校しますが、1948年に楠商高となり翌年には「商業」を外して楠高になりました。商業高校としての最終所在地は楠町5丁目ということになります。楠町は湊川神社の裏手です。
また、神戸市立湊川高校の学制改革前の名称は神戸市立第一高等女学校です。楠商高の前身は第二女子商ですから、女子校同士のドッキングは大いにあり得る話です。
戦後まもなくの地形図を見ると、今は神戸市立湊翔楠中のグラウンドとなっている部分に「市立高女」の文マークがあります。
青マーカーが楠商時代の所在地と思われます。5丁目ではなく4丁目ですが、丁目境がここだけ不自然です。
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