日本最長・天神橋筋商店街をめぐる七不思議

「日本一長い商店街」は「2.6キロ」なのか

「天神橋筋」と呼ばれている道路は2つあります。中央分離帯付き片側2車線(橋梁としての天神橋付近では南行き一方通行の5車線)の幹線道路と、その1本筋違いの幅員6mほどの商店街です。前者は市電の天神橋西筋線建設などで拡幅された新道であり、旧道の後者が本来の天神橋筋です。

「日本一長い」とされる大阪市北区の天神橋筋商店街は、その延長距離が「2.6キロ」とされることが一般的です。天神橋筋四番街商店街振興組合のWebサイトには次のような記載があります。

昔から天神橋筋商店街は「十丁目筋=じゅっちょうめすじ」と呼ばれ、親しまれてきました。
全長2.6キロに及ぶ商店街の中でも四番街は、そのど真ん中。
環状線天満駅と地下鉄扇町駅から一番近い、まさに天神橋筋商店街の中心に位置します。
他の商店街組合は「〇丁目」と表記するのに、四番街だけはちょっと違いますね。
組合法人になるとき、先人たちはネーミングに苦労したようですけれど、天満に似合っているでしょうか?

天神橋筋四番街商店街>天神橋筋四番街とは

また、天神橋筋五丁目商店街振興組合のWebサイトにも「2.6キロ」が登場します。商店街側の公式サイトで確認できたのはこの2件のみです。

天五は日本一長い商店街である天神橋筋商店街(約2.6km、店舗数約600店)の北側、阪急・地下鉄「天神橋筋六丁目」駅とJR環状線「天満」駅の中間に位置しています。

天神橋筋五丁目商店街>Ten5について…! 教えちゃいます♪

黄色の丸囲みが大阪天満宮、赤が天神橋、紫のラインが旧道(おおむね商店街)、緑が新道の天神橋筋です。オレンジの▲は戦前に廃止された大阪青物市場跡、水色の▲はUR都市機構が再開発した複合施設 の大阪天満卸売市場「ぷららてんま」です。

天神橋筋商店街
天神橋筋(地理院タイルを加工)

アーケード区間は青のマーカーの間で直線距離は1.98キロ、カラー舗装区間は赤のマーカーの間で2.16キロ、7時から22時までの歩行者専用道路区間は下の赤マーカーから紫のマーカーまで2.37キロ、紫のラインは2.66キロになります。

2018年末までNPO法人の企画による「天神橋筋ぶらり歩き」が行われていました。スタンプラリー的なものですが、緑の■印はその際のスタート及びゴール地点と必ず通らなければならない中間地点となる店舗です。これに従えば、赤-赤のカラー舗装区間が「ぶらり歩き」の対象です。

大阪市観光局は天神橋起点説

大阪市観光局の公式サイトは、橋梁としての天神橋を起点として7丁目まで「2.6キロ」だと説明しています。上の航空写真の赤丸で囲んだ天神橋中央の中之島から紫のマーカーまで計測すると、たしかにその距離は2.6キロになります。

天神橋を起点として、北は天神橋筋七丁目まで伸びる、全長約2.6キロの商店街。長さは日本一といわれ、歩くのには約40分かかる。入口上部には、お迎え人形が飾られており、アーケードへ一歩踏み入れると、昔ながらの大衆食堂、惣菜屋、代々刀鍛冶の刃物屋、明治元年創業のお茶屋、豆腐、コロッケ、陶器に着物……と、およそ800店舗が連なっている。江戸時代、二丁目にある学問の神様・菅原道真を祀る「大阪天満宮」の門前町として栄えたのが始まりで、明治時代に入ってからは、現在のような商店街として発展。

OSAKA INFO>天神橋筋商店街

ただ、この天神橋起点説はかなり苦しいのです。橋から赤マーカーまでの230~240mほどは商店街ではありません。途中に橋が含まれるだけなら大目に見ることはできるでしょうが、出発点をずらして商店が並びようもない橋まで足し算するのは明らかに反則です。橋を半分だけ足すのも中途半端です。

アーケード区間青-青1.98キロ
カラー舗装区間赤-赤2.16キロ
歩行者専用道路(7:00-22:00)区間赤-紫2.37キロ
紫のライン赤-淀川2.66キロ
大阪市観光局の主張(天神橋~7丁目)2.6キロ
▲2.6キロの謎

定着してしまった「2.6キロ」は守らなければならない。8丁目には天神橋八丁目商店会の街灯はあるものの商店街の体をなしていない。ならば橋を足すしかない。このような発想で後付の「2.6キロ」をひねり出したとしか思えません。

「2.6キロ」とは、商店街が始まる1丁目途中の赤マーカーから8丁目までの紫ラインを測って誰かが言い出したものだろうと私は睨んでいます。2.37キロでも日本最長と言えなくもないのですが、どうしても守りたい「2.6キロ」なのでしょう。

七不思議

このシリーズでは、主に次の7つの謎に挑んでいます。

(1)どこからどこまでで「2.6キロ」なのか
(2)そもそも商店街とは
(3)8丁目のどこに商店街の要素があるのか
(4)国道1号線をまたぐ天神橋2丁目の不思議
(5)1丁目商店街が天満宮南大門と筋違いの理由
(6)「天七」は「てんなな」か「てんしち」か
(7)町域名の天満橋が橋の天満橋から離れているのは

【その他の商店街】

天神橋1~8丁目の商店街とこれに接続する商店街

任意天神橋八丁目商店会
任意天神橋七丁目北商店会 →街灯撤去
任意天神橋七丁目中商店会
任意天七商店会
組合天神橋七丁目商店街振興組合 →登記抹消
任意大淀天六商店会
組合A天神橋筋六丁目商店街振興組合
任意天神橋筋東通り
任意天六東通商店会
組合A天神橋筋五丁目商店街振興組合
組合浪花町商店街振興組合(天五中崎通り商店街)
任意天五中央商店会
任意池田町中央通り
任意池田町本通り
組合A天神橋筋4丁目北商店街振興組合
組合A天神橋四番街商店街振興組合
任意天満南街商店会
組合B天神橋筋三丁目商店街振興組合
組合B天神橋筋二丁目商店街事業協同組合
組合B天神橋筋一丁目商店街振興組合
▲天神橋と近接の商店街

Aの4法人で天神橋筋商店会、Bの3法人が天神橋筋商店連合会です。アーケードに連なっているのはこの7法人です。この7法人の南北距離は約2キロにすぎません。

天神橋筋付近の歴史

  • 949年(天暦3年)頃 大阪天満宮が建立
  • 951年(天暦5年)頃 天神祭が始まる
  • 1594年(文禄3年)天神橋が架橋
  • 1653年(承応2年)青物市場が京橋から天満に移転
  • 1832年(天保3年)天神祭で天神橋からだんじりが転落して溺死者10数名
  • 1837年(天保8年)大塩平八郎の乱で天神橋の一部が撤去
  • 1868年(慶応4年)大阪港開港
  • 1871年(明治4年)大阪造幣局が操業
  • 1872年(明治5年)天満10丁目、摂津国町、夫婦町、池田町などが天神橋筋1~4丁目に
  • 1889年(明治22年)大阪市が市制施行
  • 1895年(明治28年)大阪鉄道・天満駅が開業
  • 1900年(明治33年)北区西成川崎の一部が天神橋筋5~6丁目に
  • 1913年(大正2年)大阪市電・天神橋西筋線が開業(天神橋6交差点-天神橋1交差点間が拡幅)
  • 1914年(大正3年)阪神・北大阪線の天神橋筋六丁目駅が開業
  • 1915年(大正4年)大阪市電・北浜線が開業
  • 1925年(大正14年)新京阪急行・天神橋駅が高架駅として開業、翌年に駅ビル竣工
  • 1927年(昭和2年)東淀川区川崎町、本庄町、北長柄町の一部が天神橋筋7~9丁目に。大阪市電長柄橋筋線開業(天神橋6交差点の天神橋筋が拡幅)
  • 1933年(昭和8年)国鉄・天満駅が高架化。ゴーストップ事件
  • 1943年(昭和18年)北区天神橋筋6丁目の都島通以北および東淀川区天神橋筋7~9丁目が大淀区天神橋筋6~9丁目に
  • 1966年(昭和41年)大阪市電・天神橋西筋線と長柄橋筋線が廃止
  • 1967年(昭和42年)大阪市営地下鉄・谷町線が開通して南森町駅が開業
  • 1968年(昭和41年)大阪市電・北浜線廃止。阪神高速12号守口線開業
  • 1969年(昭和44年)大阪市営地下鉄・堺筋線が開通、阪急・天神橋駅が天神橋六丁目駅に移転・改称して地下鉄と相互直通運転開始
  • 1970年(昭和45年)地下鉄延伸工事でガス爆発事故で死者79名
  • 1974年(昭和49年)大阪市営地下鉄・谷町線が天神橋筋六丁目駅まで延伸
  • 1975年(昭和50年)阪神・北大阪線廃止
  • 1977年(昭和52年)大淀区天神橋筋6丁目が7丁目に編入されて天神橋7丁目に。天神橋筋9丁目は8丁目に編入されて天神橋8丁目に
  • 1978年(昭和53年)北区天神橋筋1~6丁目が天神橋1~6丁目に
  • 1989年(平成元年)北区と大淀区が合区、天神橋1~8丁目の全域が北区に
  • 1997年(平成9年)JR・東西線の開通で大阪天満宮駅が開業。関西テレビが扇町キッズパークへ移転
  • 2005年(平成17年)天満市場跡にぷららてんまが開業
  • 2006年(平成18年)天満天神繁昌亭が開席
  • 2010年(平成22年)旧駅ビルの天六阪急ビルが解体
  • 2013年(平成25年)天六阪急ビル跡地にジオタワー天六が竣工

まったく実用性のない「天一」~「天八」MAP

7丁目に天六が多いのは、かつて大淀区天神橋筋6丁目だったからです。天六に次いで多いのは天三と天五ですが、3丁目と5丁目には駅がありません。天満駅や扇町駅がある4丁目と南森町駅や大阪天満宮駅のある2丁目は天四や天二を名乗る必然性が薄いものと思われます。

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