新ひだか町の「1839峰(いっぱーさんきゅう ほう)」

1839峰

国土地理院「1003山」の中に「1839峰」という山があります。標高は1842mですので、名称とは3m差です。もともと1839mの標高とされていたのでその名がつき、当該名称が定着したあとで標高が訂正されたのだろうと想像されます。

場所を確認してみると、北海道の日高山脈でした。標高1842mの山頂は新ひだか町内にあり、日高振興局と十勝振興局を隔てる境界の山というわけではありません。

1839峰
1839峰(地理院タイルを加工)

スキー場があるわけでもなく、世間的にはさほど有名な山ではありません。人口の少ない地域ですし、おそらく国有林でしょうから、地元民にとってはどの山がどんな名前でもあまり関係のないことです。

上級者でも2泊を強いられるようで北海道最難関とも呼ばれているようです。キャリアを積んだアルピニスト以外にこの山を話題にするのは、ごく一部の地理マニアに限られると思われます。

「1839」をどう読むのか、国土地理院は「いっぱさんきゅう」としていますが、Wikiは本文で「いっぱーさんきゅう」を採用し、注釈で4パターンを例示しています。

(1)いっぱーさんきゅう
(2)いっぱさんきゅう
(3)いちはちさんきゅう
(4)いちぱーさんきゅう

普通に「1839」を読むなら(3)です。ただ、数字データのチェックのために2人で読み合わせするときなどは(4)になりそうです。あまり(1)や(2)は一般的ではないように思われます。むしろ「いっぱち」読みがあってもよさそうです。古典落語由来の「いっぱち」は、飲食店の屋号としてしばしば見かけます。

どの読み方でも、話としてはたぶん通じるのでしょう。切実なのは、救助要請があったときです。いくらGPSの時代と言っても、日高山脈は盛大に圏外です。知床と異なりドコモなら通じるということもなさそうです。

福岡大ワンゲル部ヒグマ事件

1839峰の10キロほど北に標高1979mのカムイエクウチカウシ山があります。1970年に福岡大学ワンダーフォーゲル同好会5人のパーティーがヒグマに襲われ3人が亡くなった山です。

Wiki「福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件」では「静内町(現・日高郡新ひだか町静内高見)」とされていますが、この山の山頂は新ひだか町と中札内村(なかさつない-むら)の境界です。学生たちがヒグマに襲われたのは山頂の東、つまり中札内村側です。

福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件
ヒグマ襲撃事件(地理院タイルを加工)

北から南へ日高山脈を縦走するワンゲル同好会の夏合宿はほぼ終わりかけでした。時系列です。

12日 09:00博多発つくし1号で出発
14日 10:40新得駅に到着
14日 15:00入山届提出後、登山口20分の位置にテント設営
15日 10:00芽室岳山頂
25日 09:40エサオマントツタベツ岳山頂
25日 15:20九ノ沢カールでテント設営
25日 16:30熊がテントの外に置いたザックの食糧を漁る 1回目
ザックを回収、火を焚きラジオの音量を上げて追い払う
25日 21:00熊がテントに穴を開ける 2回目、以後交代で2人見張り
26日 04:30熊がテントを襲い 3回目、5人が逃げたあとテントを倒す
ハンターを要請するため2人下山、熊が姿を消しザックを回収
26日 07:15やはり熊に襲われて下山中だった北海道学園大に2人が出会う
伝言を頼み食糧や地図などを分けてもらって2人は戻る
26日 13:00残った3人は稜線で鳥取大や中央鉄道学園と会う。2人が合流
26日 15:00中間ピークでテント設営、夕食
26日 16:30テントに熊が出現したので 4回目 逃げて様子を窺う
26日 18:30熊がテントを離れないので、鳥取大のテントに向かう
途中で熊に出会い、C君が襲われ、B君ははぐれる
26日 19:00鳥取大は火を焚いて下山。3人は岩場で夜を過ごす
27日 08:00A君が熊に襲われる 5回目。2人は下山
27日 13:002人が砂防ダム工事現場に到着
27日 15:00はぐれたB君のメモが途切れる
27日 15:30救援ヘリ出動も乱気流で現場を確認できず引き返す
27日 18:002人が中札内村の駐在所に到着
29日 14:50捜索隊がA君とC君の遺体発見
29日 16:30捜索中に現われた熊をハンターが射殺
30日 13:30はぐれていたB君の遺体発見
31日 17:00現地で火葬
▲1970年福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件の経緯

3m差の理由

5人のうち、逃げ出したとき靴を履いていたのは1人だけ(助かったほうの1人)だったようです。そこは油断があったと言われても仕方がなかろうと思われます。餌を物色しても人を襲うとまでは思っていなかったのでしょう。

教訓として強調されているのは、(1)熊に背を向けない、(2)走らず離れない、(3)いったん熊に奪われたザックは取り返さない、ということのようです。むしろザックを囮にすることで時間を稼ぎ、集団のままゆっくり距離を取ることが推奨されるものと思われます。

熊は必ずしも火や音を怖がるものではなく、個体差や慣れもあるのかもしれません。遺体は激しく損傷しており、3人とも衣服はなかったそうです。

【外部リンク】
■YAMA HACK>保存版「福岡大ワンゲル部ヒグマ襲撃事件報告書」(2ページ目)

さて、この報告書で「1852M峰」と記されているのは地理院地図では標高1855m、「1900M峰」は1903mの山に対応するものと思われます。3m差は「1839峰」とピッタリ同じです。地図に名前のない山頂を「〇〇(m)峰」と呼ぶのは、この業界ではごく普通のことなのかもしれません。

共通して3m差ということは、何らかの標高に関する基準が変更された結果として、そうなったものと思われます。

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