生駒線・一分駅から1分早く出発した近鉄電車

近鉄生駒線・一分駅(いちぶ-えき)

出来事自体はニュースになるようなことには思えません。

 近畿日本鉄道によりますと、午前8時36分ごろ、奈良県生駒市にある一分駅を普通電車が予定発車時刻より約1分早く出発し、次の菜畑駅でも約1分早く出発しました。
 乗り遅れた利用客から苦情を受け発覚したということです。

ABCニュース>一分駅を1分早く電車が出発 近鉄生駒線で複数の利用客が乗り遅れる 運転士が時刻表と時計の確認怠る 08/24 16:23

ただ単に「一分駅を1分」と言いたかっただけかもしれません。で、私のようなタイプが食いつくわけです。「事件」が起きたのは昨日(24日)ということです。近鉄生駒線・一分駅の平日の時刻表は次のとおりです。

一分駅の時刻表
近畿日本鉄道>時刻表

近鉄生駒線は王寺駅と生駒駅を結んでいます。総延長は12.4キロ、一分駅から終点・生駒駅まで2駅です。

近鉄生駒線
近鉄生駒線(地理院タイルを加工)

37分発が36分に出発しても46分の電車には乗れたはずですから、「苦情」は待っている間に駅員に詰め寄った?ものかもしれません。

町域名は「壱分町」

一分駅の開業は1926年(昭和元年)12月28日です。生駒ケーブルカーの宝山寺線は1918年8月開業ですので、初詣に向けての年末開業だったものと思われます。駅は開業当時から「一分駅」だったようです。

町域名としては「一分町」ではなく「壱分町(ichibucho)」です。少なくとも市制施行の1971年以降は「壱分町」ですが、明治から1960年代発行の地形図では駅だけでなく町域名も「一分」と記されています。

壱分町

1997年開通の第二阪奈道路のインターチェンジは当初「一分IC」で計画されていたそうです。地域住民の反対で「壱分IC」として開業しています。

壱分インターチェンジ

「一分」では軽いと感じる向きが多かったのかもしれません。当然、小学校も保育園も幼稚園も「壱分」です。

一分の由来

壱分(一分)の由来について、Wikiには次のような記述があります。

(1)くまかし(いちいがし)が生えた里として「櫟生」(いちふ)と呼ばれたという説。
(2)『日本書紀』に有間皇子が「市経」(いちぶ)に居を構えたとあり、その市経をこの地とする説。
(3)平安時代の下級官吏「一分官」が住んでいたことによるという説。
(4)中世末期、興福寺一乗院領の生馬庄が一分と二分に分かれており、この地が一分に属していたことによるという説。

Wikipedia>壱分町 2023/08/24閲覧

(2)は「市経」が本当にここにあったのかどうかが問われます。(4)は「一分」とともに「二分」はどこにあったのかという話になります。八王子市には「上壱分方町(かみいちぶかたまち)」や「弐分方町(にぶかたまち)」の町域名がありますので、特定できれば有力です。

(3)もなくはないでしょうが、(1)の植物由来はもっとも無難です。京丹後市には「久美浜町壱分(くみはまちょう-いちぶ)」の地名があります。

なお、阿賀野市の「上一分(かみいちぶ)」、「下一分(しもいちぶ)」は「壱」ではなく「一」派です。

いずれにせよ「一分駅」や「壱分町」の「分」は時間の単位としての「分」ではないわけですが、日本で「分」「秒」が登場したのは明治6年(1873年)からです。今年が太陽暦151年目になります。

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