山谷えり子氏の「21世紀の会」
山谷えり子(本名:小川惠里子)参議院議員の不記載額は、5年間で2403万円だそうです。
平成30年分から令和4年分の5年間における収支報告書への未記載金額は、2,403万円でございました。
山谷えり子>清和政策研究会政治資金パーティーに関する政治資金の取扱いについて
日付がありませんが、最初の報道が1月27日のようです。「不記載」でも「非記載」でもなく「未記載」だとおしゃっています。打ち消し接頭語の使い分けができないのかもしれません。
ノルマ超過分については、これまで何らかの支出にあてることはなく事務所内に留めていたと報告を受けております。
山谷えり子>清和政策研究会政治資金パーティーに関する政治資金の取扱いについて
「私は何も知らない」とでも言いたげです。山谷氏の資金管理団体は「21世紀の会」です。1月31日付で政治資金収支報告書が訂正されています。
訂正前 | 訂正後 | 増減 | |
収入総額 | 35,538,143 | 59,874,503 | 24,336,360 |
(前年からの繰越額) | 17,007,968 | 36,244,328 | 19,236,360 |
(本年の収入額) | 18,530,175 | 23,630,175 | 5,100,000 |
支出総額 | 3,727,206 | 3,727,206 | 0 |
翌年への繰越額 | 31,810,937 | 56,147,297 | 24,336,360 |
5年間の不記載総額約2400万全額が手つかずで残っているというすっかり見慣れたストーリーです。1950年生まれの山谷氏の任期は2028年までです。比例区ですので、党としては議員辞職して頂いても影響はないわけです。
「21世紀の会」は20世紀のうちに設立されているはずです。次に述べるように何度も党籍を変えている山谷氏がキックバックにいつ気づいたのかが気になります。
父親の山谷親平氏も国政選挙出馬経験あり
「絶望は愚か者の結論なりと申します」の山谷親平氏が、今も続くニッポン放送の長寿番組「テレフォン人生相談」のパーソナリティになったのは1965年だそうです。山谷氏は1963年10月の総選挙に福井全県区から立候補しています。
得票率5%で2万票近くを得ましたが、定数4に対して7位で落選しています。今では信じられない投票率83.72%の選挙です(全国でも71.14%)。山谷氏の所属党派「青葉会」がどういう団体なのかわかりませんでした。
娘の山谷えり子氏は1989年参院選で民社党の比例区拘束名簿の5位に登載されています。民社党は比例区では1983年が4議席、1986年が3議席でした。非自民8党派による細川内閣で与党となった民社党は1994年の新進党結成で解党することになります。
山谷氏は新党友愛経由で民主党に参加したものと思われます。2000年の総選挙では比例東海ブロックの単独1位で当選しています。
落 | 1989参 | 民社党 | 比例名簿5位(2位まで当選) |
当(衆1) | 2000衆 | 民主党 | 比例東海ブロック単独1位 |
落 | 2003衆 | 保守新党 | 東京4区(得票率12.18%、3位) |
当(参1) | 2004参 | 自民党 | 比例区(得票数6位) |
当(参2) | 2010参 | 自民党 | 比例区(得票数3位) |
当(参3) | 2016参 | 自民党 | 比例区(得票数7位) |
当(参4) | 2022参 | 自民党 | 比例区(得票数12位) |
2000年当時は自自公政権であり、民主党は野党でした。小沢一郎氏率いる自由党は政権から離脱し、政権残留派の二階氏らが保守党を結成します。一方、熊谷弘氏ら5名は民主党を離党して保守党に合流、保守新党が結成されました(民主党は熊谷氏を除名、山谷氏らを除籍)。
山谷氏は2003年10月の総選挙を保守新党で戦っていますが、小選挙区に与党から2人出て勝てるはずはありません。4議席と惨敗した保守新党は自民党に合流することになり、山谷氏は翌2004年に参議院比例区で当選します。2022年で4期目に入っています。
宗教好き?の山谷氏
山谷氏の支援団体は宗教関係が多いようです。港区白金台に本部を置く佛所護念会教団は法華経系ということです。2丁目1番の区画はまるごと教団施設です。本部南側の区画には宿泊施設もあります(白い陸屋根)。
仙台市青葉区の大和教団(たいわ-きょうだん)も山谷氏の支援団体です。
2021年6月のストビューでは、北一番丁通り沿いのゴミ集積所の壁に土井亨氏と丸川珠代氏との2連ポスターが貼ってあります。土井氏は宮城1区選出で当選5回、昨年9月に安倍派を退会しています。丸川氏は2019年改選組ですので、2022年改選の山谷氏とかぶるわけではありません。
神道政治連盟
神道政治連盟も有力な支援団体です。
山谷氏がこれら複数の宗教団体とのルートを持っていたとはちょっと考えにくい話です。自民党入党後に誰かがあてがったものと思われます。
「世界日報」に山谷氏のインタビュー記事が掲載されたのは2001年です。また、国会でジェンダーフリーや夫婦別姓に異論を唱えたのも2002年4月ですから、民主党時代です。こうした言動でスカウトされたのかもしれません。民主党離党&保守新党結成は2002年12月です。
小泉内閣は2001年4月に発足しており、小泉政権時代に清和政策研究会は平成研究会を抜いて自民党第1派閥になります。森派時代です。総理を退任した森氏は自由に動ける立場でした。
なお、2022年9月の旧・統一教会(統一協会)との関係をめぐる自民党点検では山谷氏は氏名公表されていません。世界日報は公表対象ではありません。2006年の天宙平和連合への祝電についてご本人は否定しています。
山谷氏と統一教会との関係は「どっぷり」との評価が定着しているように見受けられますが、「世界日報」以外は決め手に欠けるのが実情です。とくに新世事件の2009年以降はほぼ何も見当たりません。密接な関係だった時期はあるのでしょうが、綿々と続いていたわけではなさそうです。
外部リンク(1)の記事は2003年の保守新党で出馬したときの選挙です。
【外部リンク】
(1)■AERAdot.>山谷えり子元拉致問題担当相は否定でも 旧統一教会の元信者は「選挙カーに乗ってアナウンスした」2022/09/11
(2)■Wikipedia>ノート:山谷えり子
(3)■withnews>在特会写真で批判受ける山谷えり子氏 その経歴と発言 2014/10/09
外部リンク(2)は、Wikiが「ネットワーク名:SANGIIN」から書き換えられたという話です。次の動画は9:00から再生されます。
コメント