「嫌疑なし」で不起訴
法務省「事件事務規程」第75条第2項は不起訴に関して次のように定めています(原文は太字ではありません)。
第75条 第2項 不起訴裁定の主文は、次の各号に掲げる区分による 。
法務省>事件事務規定
(17) 嫌疑なし 被疑事実につき、被疑者がその行為者でないことが明白なとき、又は犯罪の成否を認定すべき証拠のないことが明白なとき。
(18) 嫌疑不十分 被疑事実につき、犯罪の成立を認定すべき証拠が不十分なとき。
(20) 起訴猶予 被疑事実が明白な場合において、被疑者の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないとき。
規程上は20通りの「不起訴」があるわけですが、よく聞くのは「嫌疑なし」「嫌疑不十分」「起訴猶予」の3つです。ドリル事件の小渕優子氏は秘書2人が立件されましたが、ご本人は「嫌疑不十分」の不起訴でした。
日歯連事件では、会計責任者と村岡兼造氏が起訴され(有罪)、橋本龍太郎氏と青木幹雄氏は「嫌疑不十分」、野中広務氏は「起訴猶予」で不起訴でした。形式的には同じ不起訴であっても、一般的には次のような見立てが成立します。疑わしきは罰せず、です。
嫌疑なし | シロ(証拠がない) |
嫌疑不十分 | 灰色(証拠が足りない) |
起訴猶予 | クロ(証拠はある) |
1月9日に逮捕された池田佳隆容疑者とその秘書は1月26日に起訴され被告になりました。同時に安倍派幹部7人と森元首相は「嫌疑なし」で不起訴と報じられています。池田氏の起訴をもって、東京地検の捜査は終結ということです。
「嫌疑なし」なら検察審査会は望み薄
加計じゃなくて賭けマージャン事件の黒川弘務氏は単純賭博罪について「起訴猶予」でした。軽微な犯罪(娯楽の延長)であり、黒川氏は被疑事実を認めており自ら退職して反省の意を示したのですから、検察としては「起訴猶予」の判断はあり得ます。
とはいえ、「起訴猶予」なら検察は証拠を押さえています。検察審査会は黒川氏を「起訴相当」とし、検察は略式起訴しました。略式起訴は裁判なしで有罪確定です。検察には証拠があり、黒川氏も認めていますから何の障害もありません。
「嫌疑不十分」ならともかく「嫌疑なし」を検察審査会に持ち込んだところで「起訴相当」は難しいはずです。検察審査会で「起訴相当」が2回出て強制起訴に至ったとしても、そもそも検察には証拠の持ち合わせがありませんし、再捜査によって共謀の物証が出てくるとも思えません。
したがって、派閥側収支報告書の不記載または虚偽記載で安倍派幹部7人や森元首相に対して有罪判決が出るのは考えにくい話です。ただし、2700万の萩生田氏は議員側収支報告書の不記載または虚偽記載の共謀で行けるかもしれません。3000万基準を引き下げるだけの話です。
派閥事務局が言う「書かなくてもいい」とは「書いても書かなくてもどちらでもよい」との意味ではなく「こっちは書かないから、そっちも書くなよ」の意味です。出金側が書かないなら、入金側は書けません。一方だけ書いたら辻褄が合わなくなります。
派閥から「書くな」と指示された議員側にそれほどの責任はないと言えなくもありません。1年生議員の秘書が派閥事務局の会計責任者から「書くな」と言われたら、違法性の認識があったとしてもそれに従うのは無理もありません。
第一義的な責任が派閥側にあることに誰も異存はなかろうと思われます。二階派や岸田派を含めて派閥側の政治家が誰1人として起訴されていないことが、一斗缶でペンキを用意したくなる気分にさせるわけです。
森元から始まった
現・安倍派の歴代会長で唯一の存命者が森喜朗氏です(厳密には森内閣のとき小泉純一郎氏が一時的に会長を務めています。小泉派とは呼ばれませんでしたけど…)。
1970 | 紀尾井会 | 福田赳夫 |
1972 | 八日会 | 福田赳夫 |
1979 | 清和会 | 福田赳夫 |
1986 | 清和会 | 安倍晋太郎 |
1991 | 清和会 | 三塚博 |
1998 | 清和政策研究会 | 森喜朗 |
2006 | 清和政策研究会 | 町村信孝 |
2014 | 清和政策研究会 | 細田博之 |
2021 | 清和政策研究会 | 安倍晋三 |
町村派の時代が長かったものの、当時も実質的オーナーは森氏だと言われていました。キックバック不記載の習慣は森派になった直後、1999年か2000年辺りから始まっているようです。
森氏以外でキックバック不記載が導入された当初のいきさつを知り得る立場にいた存命者は小泉氏ぐらいです。森内閣当時の閥務は小泉氏が担っていましたので、小泉氏が知らないはずはありません。
現役議員は誰も知らないものと思われます。可能性があるとすれば塩谷氏と山崎氏ですが、塩谷氏は1999年4月の補欠選挙で国政にカムバックしたものの2000年6月の総選挙では落選しています。山崎氏は森派移行時には2期目でした。
衛藤征士郎 | 1977年初当選 | 清和研発足時は河野グループ |
塩谷立 | 1990年初当選 | 実父の塩谷一夫は三木派→無派閥→安倍派 |
山崎正昭 | 1992年初当選 | 参議院当選6回で未入閣(議長経験あり) |
橋本聖子 | 1995年初当選 | 1996年アトランタ五輪出場 |
下村博文 | 1996年初当選 | 1985年の都議選は新自由クラブ公認 |
世耕弘成 | 1998年初当選 | 叔父の世耕政隆は佐藤派→田中派→無派閥 |
高木毅 | 2000年初当選 | |
松野博一 | 2000年初当選 | |
西村康稔 | 2003年初当選 | 2009年の総裁選出馬に伴い町村派離脱、2013年復帰 |
萩生田光一 | 2003年初当選 |
郷原信郎氏の見解(19:50追記)
郷原信郎氏は、「起訴猶予」が検察審査会に持ち込まれたときは「起訴相当」の議決があり得るものの、「嫌疑不十分」では「起訴相当」の議決はまず出ないと語っています。
郷原氏は「嫌疑不十分」だと思っているようですが、読売などの報道によれば今回は「嫌疑なし」です。「嫌疑なし」なら、なおさら「起訴相当」にはなりません(「不起訴不当」はあるかもしれませんが…)。
個人的には検察の「嫌疑なし」がペンキ案件だと思っています。せめて「嫌疑不十分」と言えるところまで捜査しろ、と。
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