ラスタカラーの電柱
市原駅は京都の叡山電鉄鞍馬線に実在しますが、千葉県市原市に市原駅はありません。私が初めて市原を訪れたのは2003年の市原臨海球場でした(たぶん)。今は命名権で「ゼットエーボールパーク」という名称のようです。
最寄り駅はJR内房線の五井駅です。徒歩35~40分ということで、駅からタクシーに乗ったはずです。球場に向かう吹上通りの電柱には、上から「赤・黄・緑」の装飾が施されています。

ひょっとすると、2003年当時は電柱ではなく街灯のタペストリーだったかもしれません。同じ色合いの装飾が続いていたのは覚えています。創価学会カラーは「赤・黃・青」です。これと混同してしまった私は、疑問に思ったものの運転手には聞きませんでした。
球場は市原臨海競技場(今は「ゼットエーオリプリスタジアム」)の手前でした。当時のジェフユナイテッド市原のホームスタジアムです。「赤・黄・緑」はジェフのクラブカラーなのでした。ジェフのエンブレムがこの3色です。
市原の新スタジアム建設構想は頓挫し、市原臨海競技場ではJリーグの基準を満たさないことから、ジェフは本拠地を蘇我駅前のフクダ電子アリーナに移し、チーム名は「ジェフユナイテッド市原・千葉」になりました。
2007年以降、市原でのホームゲームは開催されていないようです。上のストビューは2022年撮影のものです。形式的には「離縁」ではありませんが、一般的には「ジェフ千葉」と略されるようです。
市原家庭教会
市原市が発足したのは1963年です。市原町など5町が合併して市制施行しています。市原市以前に市原町と市原村が共存していた時代が1年3か月あります。
1889年 | 町村制施行で市原郡に八幡町、五井村、市原村など21町村が発足 |
1955年 | 八幡超と菊間村が合併して市原町が発足 |
1956年 | 市原村が分村消滅(東部は市原町に、西部は五井町に編入) |
1963年 | 市原町、五井町、姉崎町、三和町、市津町が合併して市原市 |
今の市原市は1889年当時の市原郡ほぼ全域に該当します。1963年の合併時に市津町板倉が山武郡土気町に編入(今は千葉市緑区)されたのが唯一の例外です。

市原家庭教会は球場や競技場がある海側ではなく、小湊鉄道の線路際にあります。駅から徒歩5分という立地です。

玄関には「市原家庭教会」のプレートが掲げられていますが、掲示板には「市原書写堂」とあります。「書写堂」は大泉や新発田など各地の教団施設に設けられています。仙台は「書写院」です。
松野事務所
さて、市原市は千葉市緑区とともに千葉3区を構成しています。小選挙区は4期連続で松野博一・前官房長官です。Wikiには次のように記述されていますが、若葉区は千葉9区です。
千葉市若葉区と市原市でつくる衆議院千葉3区の選出である。
Wikipedia>松野博一(2024/01/12閲覧)
松野氏は小選挙区になった1996年から9回連続出馬、8回連続当選です(小選挙区では6勝3敗、比例復活2回)。

萩生田氏が政調会長にスライドした2022年8月の内閣改造でも官房長官に留任したわけですので、旧・統一教会(統一協会)との関係が報道されたことはありません。文科副大臣、文科委員長、文科大臣を歴任した安倍派の文教族としてはきわめて異例です。
岸田内閣で官房長官に就任するまで清和会事務総長を2年間務めており、2年分の派閥側不記載を背負わされてしまう可能性があります。対立候補の立憲・岡島氏は世襲ですが、松野氏は公募上がりです。高木氏とともに福田系とされています。
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