1990年代以降に955hPa以下で上陸した台風

1991年以降の33年間で98個上陸

台風の「上陸」とは、本土4島に台風の中心が入ったと判断された場合のことで、本土でも半島を横切っただけなら「通過」というジャッジです。赤線のルートで台風が北上すると、広島県に「上陸」したことになります(1990年台風14号と2019年台風10号は広島県に上陸)。

上陸
台風の上陸(地理院タイルを加工)

2015年台風21号は与那国島で今世紀国内最大値となる最大瞬間風速81.1m/sを観測していますが、この台風は台湾を横断して中国大陸に向かいましたので日本には「上陸」していません。

1991年以降の過去33年間に日本に「上陸」した台風は98個あります。年平均としては約3個です。このうち上陸時の中心気圧が955hPa以下だった台風は20個です。おおむね5年で3個のペースになります。

199131200230201320
199230200321201440
1993612004104201541
199431200530201661
199510200621201741
199621200731201851
199740200800201951
199840200911202000
199921201020202130
200000201131202231
200120201220202310
33年9820
▲1991年以降の台風上陸数

955hPa以下で上陸した台風

1991年以降に955hPa以下で上陸した台風は次の20個です。2004年にはこのクラスの台風が4個上陸しています。

台風月日上陸地点上陸時気圧主な最大瞬間風速
1991年台風19号09/27佐世保市940hPa広島 58.9m/s
1993年台風13号09/03薩摩半島南部930hPa種子島 59.1m/s
1994年台風26号09/29和歌山県南部950hPa津 48.7m/s
1996年台風6号07/18薩摩半島南部950hPa枕崎 55.0m/s
1999年台風18号09/24熊本県北部940hPa牛深 66.2m/s
2003年台風10号08/08室戸市950hPa牛深 69.2m/s
2004年台風16号08/30串木野市950hPa室戸岬 58.3m/s
2004年台風18号09/07長崎市945hPa広島 60.2m/s
2004年台風22号10/09伊豆半島950hPa石廊崎 67.6m/s
2004年台風23号10/20土佐清水市955hPa舞鶴 51.9m/s
2006年台風13号09/17佐世保市950hPa雲仙岳 58.1m/s
2007年台風4号07/14鹿屋市945hPa油津 55.9m/s
2009年台風18号10/08知多半島955hPaセントレア 44.2m/s
2011年台風15号09/21浜松市950hPa御前崎 45.1m/s
2015年台風15号08/25荒尾市945hPa熊本 41.9m/s
2016年台風16号09/20大隅半島955hPa枕崎 43.8m/s
2017年台風21号10/23掛川市950hPa三宅坪田 47.3m/s
2018年台風21号09/04徳島県南部950hPa関空島 58.1m/s
2019年台風19号10/12伊豆半島955hPa神津島 44.8m/s
2022年台風14号09/18鹿児島市935hPa屋久島 50.9m/s
▲1990年代以降に955hPa以下で上陸した台風

表で示した最大瞬間風速はその台風の極大値というわけではありません。なるべく上陸地点付近をチョイスしました。2回登場している広島は風速計の高さが95mです。

期間中、950hPaクラスの台風が京阪神に再上陸したのは3回です。2003年台風10号は室戸岬上陸で西宮に再上陸、2004年台風23号は足摺岬→室戸岬→大阪南部のルートです。もう1つが関空連絡橋事故の2018年台風18号になります。

1994年台風26号では開港したばかりの関西空港が初めて閉鎖されましたが、この台風は和歌山上陸で伊勢湾に抜けています。建造中のタンカー2隻が流されたそうです。

経験値

関空連絡橋事故船「宝運丸」の風速計は60m/sで振り切れていたということです。大分出身で事故当時39歳の船長さんは1999年に三級海技士の免許を取得しています。

① 船長
学校を卒業後、フェリーで航海士を経験したのち、平成21年にA社に入社し、平成27年から船長職をとるようになった。本事故当時の健康状態は、良好であった。
② A社の管理責任者
A社の運航する船舶に約5年間乗船したのち、陸上勤務となり、平成21年から管理責任者の職をとり、船員が不足した場合、乗船勤務していた。
③ B社の安全統括管理者
昭和55年にB社に入社し、船舶の安全管理等の職を経験したのち、平成29年10月に安全統括管理者に就任した。
④ B社の運航管理者
平成16年にB社に入社し、船舶の運航管理の職を経験し、平成25年6月に運航管理者に就任した。

国土交通省 運輸安全委員会>船舶事故調査報告書 13ページ

錨泊地の選定に関与できる立場にいると見られる船長以外の3人は基本的に陸上勤務です。

船長は、本件錨地付近において台風避難の目的で、航海士及び船長としてそれぞれ約2~3回錨泊を行った経験があったが、その際風速が40m/s 以上となる状況での錨泊経験はなかった。

国土交通省 運輸安全委員会>船舶事故調査報告書 24ページ

船長のフェリー勤務地がわかりませんが、沖縄航路でもない限り「非常に強い」台風を経験したことはなかったものと思われます。

④ 船長は、錨地を選定する際、3日12時00分ごろの気象情報を参考にしていた。
⑤ 船長は、台風第21号が本件錨地の東側を通過すると思っており、また、台風の進行速度が速く、長時間にわたって強い風が吹くことはないと思っていたので、本件錨地において台風避難することに関して危険を感じていなかった。

国土交通省 運輸安全委員会>船舶事故調査報告書 25ページ

経験はないのに、勝手に台風が紀伊半島側を通過すると判断したのだそうです。最悪を想定するのが危機管理の要諦だとよく言われますが、ずいぶんポジティブな考え方です。

台風の進行方向右側が危険半円と言われるのは、台風自身の進行速度が加わるからです。停滞している台風なら、風の強さは四方イーブンです(停滞していれば右も左もありませんが…)。進行速度が速ければ速いほど右側の危険度が高まる理屈です。

進行速度が速ければ、(1)たしかに強風時間帯は短くなりますが、(2)その進行速度が仇になって進行方向右側ではより強い暴風が吹くことになります。プラスマイナス両面あるのにマイナス面は考慮しない発想ができるようです。

3日15時の予想進路図です。実際にはこの時点の予想中心線より若干西のルートを通りました。

【外部リンク】
■ウェザーニュース>台風21号 4日(火)昼前後に、非常に強い勢力で上陸か 2018/09/03

予見可能だったはず

交換された関空連絡橋の橋桁付近

地震は予知できず、まして隆起は一般に「想定外のさらに外」です。隆起を想定して建物は建てられませんし、道路も敷設できません。隆起も沈下もないことを前提にして建造物は築造されます。

2018年台風21号に関しては、紀淡海峡付近が50m/sクラスの暴風に見舞われることは十分に予見可能でした。だからこそ、大阪の商業施設やUSJは前日のうちに休業を決めて、当日は身を潜めたのです。

実は、この2週間ほど前に台風20号がほぼ同じコースを辿りました。淡路島で風力発電の風車が根元から倒壊した台風です。気圧と最大瞬間風速の実測値は次のとおりです。

2018/8/232018/9/4
大阪990.3hPa962.4hPa 5
神戸988.0hPa962.7hPa 4
洲本979.2hPa963.4hPa 3
和歌山986.2hPa961.7hPa 7
▲台風20号と21号の気圧
2018/8/232018/9/4統計開始
大阪20.6m/s47.4m/s 31934/1
関空島41.2m/s 258.1m/s 12009/1
神戸32.6m/s41.8m/s 51937/1
洲本38.5m/s34.1m/s1951/7
和歌山41.0m/s57.4m/s 11940/1
友ケ島52.3m/s 151.8m/s 22009/3
蒲生田42.6m/s 348.8m/s 12008/3
日和佐41.0m/s 250.3m/s 12009/3
▲台風20号と台風21号の最大瞬間風速

上陸時970hPaクラスの台風での退避経験=成功体験はあったのでしょう。ただ、勢力がまるで違うことへの想像力が欠如していたとの評価は免れないものと思われます。

USJは移動できませんが、船は移動できます。幸いにも西に移動できる地形です。現実に移動して危険を回避していた船舶があった以上、「自然災害で不可抗力だった」との主張を抵抗なく受け入れることはとてもできません。

コメント

  1. 梅太郎 より:

    錨泊地は防波効果があり、水深約15m、海底が泥で適しており保安部の船も常連で20号時はより空港施設に近い場所に複数隻、単錨泊していたそうです。保安部の機関である大阪マーチスも宝運丸の錨泊を把握しながら移動指示を出してない事から事故を予見出来なかったと推察します。公式記録は風速58.1mですが民間計測値で近くのフェリーが73.8m甲子園浜のゴルフ場が82.4mを記録しており51隻中39隻の76%もの船が走錨し大阪湾では4隻が事故に至っています。これらの事からも予見不可能だったと言えるのではないでしょうか。当事故は中2理科の教科書に自然災害として取り扱われており広く一般にも不可抗力としての認識がなされていると思います。なにより保安部が取り調べを重ね、大阪地検が不起訴としています。
    運輸安全委員会報告書のまえがきには「船舶事故等の防止に寄与することを目的として行われたものであり、本事案の責任を問うために行われたものではない。」とあります。報告書には憶測も多く、もちろん全てが過失ではありません。この資料をもとに自論を展開し犯人探しのような事をするのは控えるべきだと思います。

    • 沌惑村 より:

      ●上陸時の中心付近の最大風速は45m/sでした。解析値そのままの風速が実測されただけです。少なくとも前々日からそのような予報であり、気象庁は走錨の26時間前に会見を開いて注意喚起を促しています。平然と「予見不可能」と言われてしまっては、気象庁や気象会社があまりにも不憫です。錨泊地は並の台風には適地でも、21号に対してはそうではなかったわけですよね。並以上の備えをしていたのだという情報はお持ちでしょうか。
      ●「嫌疑不十分」による不起訴が無実の証明でないことは先般指摘したとおりです。
      ●繰り返しますが、私は個人の刑事責任を問うべきだと申し上げたことはございません。むしろ刑事責任を最初から免除することで我が身を守るための申述を排除せよとの立場です。
      ●報告書が(海保を含めて)事故の責任の所在をぼかしているのは承知しています。それは役所の限界です。「報告書を参考にするな、報告書の目的は正しい」と言いたいわけですか?
      ●申し訳ありませんが、同じことを繰り返されるのは迷惑ですので、以後は1問1答でお願いします。
      https://set333.net/2024/01/ume/

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