独自ドメインとドラクロワ

「セットポジション」時代の2005年8月に「https://set333.net/」の独自ドメインを取得したわけですが、当時のサイト名から「set」をとり、野球が「3」または「9」に縁の深い競技であることから「333」を付加しました。商用サイトではないことから、「com」は選びませんでした。

シンプルで個人的にはかなり気に入っていましたが、今となっては少し持て余し気味です。重荷にはなりませんが、今では整合性に欠けます。だからと言って、改めてドメインを取得するほどのこともありませんので、このまま続けます。

さて、今日はモータープールをお休みして、旧「んだ」を少し片付けておこうと思います。旧「セットポジション」には「神宮のアンリ・ルソー」というページがありました(のちに「茜色と漆黒とアンリ・ルソー」に改題)。

その日は開会式込みの4試合日だった。第4試合は16:50に始まり、6回表(18:02)に点灯された。ただし、6基の照明灯のうち内野の4基だけが灯された。たしかに、打球はめったに外野フェンスまで飛ばない。なにしろ、私が見ていたのは中学生の硬式野球なのだ。リトルシニア選手権開催中の神宮球場だった。

無駄な電力を消費して、地球温暖化に貢献する必要はないという感心な心がけなのかもしれない。外野の照明がつかなかったので、夏の黄昏が深まり本格的な闇に移るにつれて、幻想的な世界に変わっていった。まるでアンリ・ルソーの絵の前でたたずんでいるような、そんな気がした。

外野スタンド越しに見える高層ビルの横には上弦の月。満月でないのがちょっと残念だが、「眠れるジプシー女」のライオンでも出てきそうだ。私はネット裏の上(後ろ)から見ているので、余計にそう感じたのかもしれない。

これは、「セットポジション」閉鎖時の「茜色と漆黒とアンリ・ルソー」のページの冒頭です。どこをどうこじつけたのか、今となってはわかりませんが、改題前の「神宮のアンリ・ルソー」では次のような書き出しだったようです。

「アルジェの女たち」や「キオス島の虐殺」などで知られる19世紀フランスの画家・ドラクロワは、その少年時代に万引きで警官に追われてルーブル美術館に逃げ込んだそうだ。ほどなくドラクロワは捕まったという。

なぜなら、ドラクロワ少年は、ある絵の前で感動のあまり立ちすくんでいたからだ。少年は警官に「おまわりさん、おいら絵描きになるよ」と語ったらしい。できすぎた話だから、本当かどうかは知らない。

で、このエピソードについて、旧「んだ」で指名手配をかけたところ、立原あゆみのコミック本だろうというご教示がありました。私も何冊か読んでいますので、おそらく間違いはないのでしょう。

実話なのか、あるいは「巨人の星」に出てくる坂本龍馬の「死ぬときは前のめりで」や「優雅に泳ぐ白鳥は水面下では~」の類なのか、改めて指名手配をかけておきたいと思います。

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