京丹後市のアメダス間人(たいざ)は聖徳太子の生母由来

京都府最北のアメダス観測地点が京丹後市の間人です。2019年は2月9日、2020年は1月4日と11月27日に日最大瞬間風速が全国1位でした。「間人」を「たいざ」とはまず読めません。

「はしひと」か「はしうど」か

山岸凉子「日出処の天子」をリアルタイムで読んでいた私は、「間人」を「はしひと」と読むことができます。主人公・聖徳太子の生母が穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)でした。第31代用明天皇の皇后です。

聖徳太子の生母・間人皇后(はしうどこうごう)が蘇我氏と物部氏との争乱を避けて丹後の当地に身を寄せ、のちに当地を去るに当たって自らの名をこの地に贈ったものの、住民は「はしうど」と呼び捨てにすることを畏れ多く思い、皇后がこの地から退座(たいざ)したのにちなみ間人を「たいざ」と読み替えた、との伝承が残る。但し間人皇后が丹後に避難したとする記述は記紀になく、由来には他にも諸説がある。

Wikipedia>間人

「日出処の天子」では「はしひと」の読みでした。Google日本語入力では「はしひと」は「間人」に変換できますが、「はしうど」では「間人」に変換できません。Microsoft IMEでは「はしひと」でも「はしうど」でも「間人」には変換されません。2012年11月のストビューです。

旧・丹波町役場の向かい側には「はしうど荘」があります。当地では「はしひと」ではなく「はしうど」読みが一般的のようです。

在位生没続柄
539-57129代・欽明天皇509生-571没
572-58530代・敏達天皇538生-585没異母兄
585-58731代・用明天皇?生-587没異母兄で夫
穴穂部間人皇女?生-622没
587-59232代・崇峻天皇553生-592没同母弟
593-62833代・推古天皇551生-628没異母姉妹
593-622摂政・聖徳太子574生-622没
▲穴穂部間人皇女の近親者

京都府最北のアメダス観測地点

京都府最北の自治体が京丹後市であり、旧・丹後町です。間人地区は竹野川の河口付近になります。

間人
間人(地理院タイルを加工)

1889年 町村制施行時に京都府竹野郡「間人村」発足
1921年 間人村が町制施行
1955年 1町4村の合併で「丹後町」に(丹後町間人)
2004年 6町合併で「京丹後市」に(京丹後市丹後町間人)

アメダス間人は標高42mです。ストビューでは風速計を確認することはできませんでしたが、墓地公園の北斜面に露場が設けられています。

丹後町間人

間人の日最大瞬間風速のTOP10です。北斜面ですが、強風がもたらされるのは冬場の西風のようです。

34.7m/s西南西2012/04/03
32.8m/s西2018/03/01
31.4m/s西2020/01/08
31.1m/s西南西2016/10/05
30.8m/s西南西2017/12/11
30.2m/s北西2017/01/20
30.0m/s西2018/01/23
29.5m/s西2020/03/19
29.5m/s2017/10/23
29.1m/s2018/09/30
▲間人の日最大瞬間風速

コメント

タイトルとURLをコピーしました