方向違いの道路案内板と読めない「外山(とび)」

「外山」を「とび」とは読めない

奈良県桜井市外山の「外山」は「とび」と読みます。たしかに「山」は要注意の漢字です。案山子、山車、山茶花、山葵、山梔子などイレギュラーな読み方は枚挙にいとまがありません。そうは言っても「外山」は「とやま」と読むのが普通です。さすがに「山」を「び」と読めるものではありません。

「外山」で「とび」

ちょっと口惜しいのは、Google日本語入力でもMS-IMEでも「とび」で「外山」に変換できてしまうということです。

どうやら「外山」は、古典芸能の能(猿楽)に縁の深い地名のようです。「能」と呼ばれるようになったのは明治以降で、江戸時代までは「猿楽」という呼称だったそうです。東京には神田と渋谷に猿楽町がありますが、千代田区の神田猿楽町は観世流の屋敷があったことに由来し、渋谷区の猿楽町は「猿楽塚」と呼ばれる円墳由来だそうです。渋谷の猿楽町は能とは無関係です。

室町時代に成立した大和申楽の外山座(とびざ)・結崎座(ゆうさきざ)・坂戸座(さかどざ)・円満井座(えんまいざ)を大和四座(やまとしざ)と呼ぶ。それぞれ、後の宝生座・観世座・金剛座・金春座につながるとする説が有力である

Wikipedia>猿楽

業界5大流派のうち江戸時代に興った喜多流を除く4流派は室町期の「大和四座」に対応しているということです。

外山(とび)は宝生流発祥の地

観世(かんぜ)流←結崎座
宝生(ほうしょう)流←外山座
金春(こんぱる)流←円満井座
金剛(こんごう)流←坂戸座
喜多(きた)流(江戸初期)
▲能の5大流派

外山座を継承しているのが宝生流です。元女優の宝生舞はカトリック系の小中学校を卒業していますので、おそらく能や宝生流とは無関係と思われます。

芸祖は観阿弥の長兄・宝生太夫。大和猿楽の外山座(とびざ)の流れを汲む。奈良県桜井市外山地区で始動し、宗像神社 (桜井市)には発祥の地とする碑がある。外山座はその看板役者・宝生太夫の名を取って宝生座と呼ばれるようになった。

Wikipedia>宝生流

由緒がわかったところで、なぜ「山」を「び」と読むのかという問題は解決しません。考えられるのは2つです。1つは標高245mの鳥見山であり、鳥のトビも容疑者です。

平安期に用いられたらしい「鴟尾琴(とびのおごと)」と呼ばれる7弦の琴があります。ギターで言うヘッドの部分がトビの尾を模してつくられていることから、そう呼ばれるようになったそうです。

また、「十二類絵巻」では、トビはタヌキをリーダーとする反十二支連合に加わり、夜襲を提案しています。タカやワシよりずっと身近な猛禽類です。原則どおり里に近い山だから「外山」で、トビが居たから「トビ山」と呼ぶようになったという推理は、それほど飛躍したものではありません。

方向違いの案内板

境内入口に「能楽宝生流発祥之地」の石碑があるのは宗像神社です。宗像神社は鳥見山(とみやま)の北麓に鎮座しています。鳥のトビを持ち出さずとも、「とみ」が「とび」に転じたと考えるのが現実的なのでしょう。

鳥見山の麓の外山(地理院タイルを加工)

緑の丸囲みが宗像神社です。赤マーカーの位置にはこんな案内板が設置されています。2022年10月撮影のストビューです。

外山不動院と宗像神社

桜井市が立てた案内板では宗像神社と外山不動院は同じ方向の右矢印ですが、実際には外山不動院は宗像神社とは反対方向にあります。地図では青の丸囲みです。最古(2008年11月撮影)のストビューは画像が粗く判別不能ですが、2012年4月撮影のストビューでも矢印の向きは今と同じです。10年放置されている誤った案内板なのでした。

大和三山
大和三山(地理院タイルを加工)

鳥見山は「衣干したり天の香具山」(地理院地図では「天香久山」)から直線4キロです。

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