象潟(きさかた)の乱、合併協議が1年中断した秋田県にかほ市

狭くても古くても関係ない?

3つの町が合併して市制施行することになりました。新庁舎は建設せず、既存施設のいずれかを本庁舎として使うことが決まりました。東日本大震災前の話ですので、役場の標高は考慮されなかったようです。位置関係としては北からABCです。Bの庁舎が真ん中にあります。

敷地面積構造延床面積竣工議場面積駐車場
A10,536m2RC4階建2,634m2昭和52年155m2111台
B7,784m2RC2階建3,282m2昭和59年144m269台
C24,852m2RC5階建5,087m2平成5年192m2135台
▲合併前の庁舎(総務省>仁賀保町・金浦町・象潟町合併協議会>かけはし11号

さて、A~Cのどれが本庁舎に決まったでしょうか。第三者目線ではCに決まっています。もっとも広くて、一番新しいのですから、AやBが出る幕はありません。

2003年8月8日、24人の合併協議会委員による第2回投票は、Bの14票に対してCが10票だったのでした。24人の内訳は(町長+町議2人+町民5人)✕3町です。AとBの16人のうち2人がCに投票したことになるはずです。

市外局番と郵便番号の頭3桁が完全一致

秋田県にかほ市では、固定電話の市外局番と郵便番号の頭3桁が一致します。

にかほ市周辺
にかほ市周辺(地理院タイルを加工)
TEL所在
0130182横手市役所(横手市中央町)
0120183羽後町役場(羽後町西馬音内字中野)
0120183湯沢市役所(湯沢市佐竹町)
0150184由利本荘市役所(由利本荘市尾崎)
0180184TDK歴史みらい館(にかほ市平沢字画書面)
0180184にかほ市役所(にかほ市象潟町字浜ノ田)
9990234遊佐町役場(遊佐町遊佐字舞鶴)
▲市外局番と郵便番号

秋田県にかほ市は2005年の由利郡3町合併で誕生しています。合併したのは、北から仁賀保町(にかほ-まち)、金浦町(このうら-まち)、象潟町(きさかた-まち)です。

象潟は「奥の細道」の北端スポット

「にかほ」と「このうら」は正確に読めないまでも、かすります。難易度は「そっちかぁ~」レベルです。「きさかた」については難易度高めです。

私は「さきかた」と入力しても変換できないので、「さきた」に変えてみましたがやはりスルーされ、3度目で「きさかた」に辿り着きました。覚えたいなら「高崎」の逆読みと覚えるか、「喜多方」と関連付けるのがよさそうです。

合併前の3町役場
合併前の3町役場(地理院タイルを加工)

にかほ市内のJR羽越本線の駅は、北から仁賀保、金浦、象潟、上浜、小砂川です。象潟以降の3駅が旧・象潟町エリアです。合併当時の人口と面積は次のとおりでした。

仁賀保町11,584人98.54km2
金浦町4,918人18.08km2
象潟町12,671人124.02km2
▲合併前の人口と面積

3町の中でもっとも人口が多く、面積も広いのが象潟町でした。象潟の九十九島は、奥の細道紀行で芭蕉が歩いた北端のスポットとして有名です。芭蕉が西行を追い、蕪村は芭蕉を追った景勝地です。

さながら宮城県の松島のような風景だったそうですが、1804年(文化元年)に鳥海山の噴火とそれに伴う地震で隆起が起きて陸地化しています。

本庁舎は金浦に

秋田県立仁賀保高校は1977年開校です。所在地は旧・象潟町ですが、最寄り駅は微妙に金浦駅です。この3町は俗に仁賀保地区という呼ばれ方をしていました。将来的な合併がある程度は見込まれていたはずです。

そのため、合併協議は早々に始まりました。新市名が「にかほ市」に決まったのは2003年5月です。「にかほ市」と「象潟市」で4対2(市長と町議会議長で6人)だったそうです。続いて、8月8日には本庁舎を金浦町役場とすることが決まりました。

2002年7月第1回合併協議会開催
2003年5月新市名「にかほ市」が決定(4対2)
2003年8月本庁舎を金浦町役場とすることが決定(14対10)
象潟町の町内会長会と議員全員協議会で合併協議会への参加見送りを決定
2003年10月象潟町の住民アンケート(離脱67%)を受けて、象潟町長が文書で合併協議会離脱を申し入れ
2003年11月象潟町議会で合併協議会離脱案が可決(9対8)
2004年3月秋田県知事が3町を個別に訪問
2004年6月任期満了に伴う象潟町長選挙で新人が当選
2004年10月2度目の住民アンケート(復帰53%)を受けて、象潟町議会が合併協議会復帰同意案を可決
2004年12月象潟町役場を本庁舎とする案で事態を収拾(金浦には文化施設と体育施設を建設)
2005年10月合併
▲合併年表

新市名が4対2だったということは、仁賀保+金浦で4票です。金浦は新市名で仁賀保に乗り、本庁舎では論功行賞的に仁賀保票が金浦に入ったものと思われます。

象潟町では3日後の町内会長会と議員全員協議会で、今後は合併協議会に参加しないことを決めます。さすがに腹に据えかねたようです。翌日には象潟町長が仁賀保町長と金浦町長にその旨を申し入れています。

住民アンケートは回収率95.57%

象潟町では10月に入ると全有権者を対象にした住民アンケートが実施されます。選挙管理委員会を通した正式な住民投票ではありませんが、田舎ではそんなことは関係ありません。回収率はなんと95.57%です。選管が関与していないこともあって、アンケートには誘導の要素が見られなくもありません。

住民アンケート
総務省>仁賀保町・金浦町・象潟町合併協議会>かけはし15号

この設問ならもっと大差がついてもよさそうですが、合併推進32.26%に対して単独立町は67.76%のダブルスコアでした。この結果を受けて、町長は文書で合併協議会離脱を申し入れ、11月には象潟町議会でも合併協議会離脱案が可決されます。

手続き的に何の瑕疵もありませんので、2町側としては象潟の離脱を認めて2町での合併を模索するしかありません。ただ、象潟が抜けると市にはなれません。結局、合併協議会は解散せず3町の枠組みを残し、県も仲介に乗り出します。

金巌町長

当時の象潟町長は金巌(こん・いわお)さんです。1992年から3期12年町長を務めています。私はこの名前に覚えがあります。その経歴を調べてみると、毎日新聞の政治部長なのでした。タイミングよく?、金町長の任期満了は間近でした。

6月の町長選挙に金氏は出馬せず、合併推進の新人が当選します。手続き的には、もう一度逆のコースを辿る必要があります。2度目の住民アンケートは9月に行われました。回収率は94.80%です。復帰が52.60%、単独立町が38.76%、わからないが8.64%でした。

議会の同意も得て、合併協議会に復帰します。象潟町役場を本庁舎とする案で事態は収拾されました。興味深いのは次の合意事項です。

新市において、文化施設を合併後三年以内に金浦地内に建設し、引き続き総合体育施設を金浦地内に建設するものとする。

総務省>仁賀保町・金浦町・象潟町合併協議会>かけはし20号

本庁舎を譲る代わりに、金浦にはハコモノを2つ建てようということのようです。「文化施設」とか「総合体育施設」というファジーな表現からしても、必要とされている施設なのかどうかが議論されたとは思えませんけど…。

結局、にかほ市の初代市長には合併をまとめた象潟町の町長が当選して、2017年まで3期務めます。

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