1925年11月開業の森宮野原駅は「燕三条」型の並列連称駅名として最古ではありませんでした。
銚子電鉄
ICカードでは乗車できない銚子電鉄は総武本線の終点・銚子駅から犬吠埼方面に伸びています。
銚子電鉄の総路線距離は6.4キロで、銚子駅を含めて10駅が設置されています。終点までの運賃は350円、1日乗車券は700円です。開業は銚子遊覧鉄道時代の1913年で、当初は銚子駅を含めて5駅だったようです。
銚子駅 | 西芝町 | ||
仲ノ町駅 | 0.5 | 新生町 | 1913年12月(銚子遊覧鉄道) |
観音駅 | 0.6 | 前宿町 | 1923年7月(銚子鉄道) |
本銚子駅 | 0.7 | 清水町 | 1913年12月(銚子遊覧鉄道) |
笠上黒生駅 | 0.9 | 笠上町 | 1925年7月(銚子鉄道) |
西海鹿島駅 | 0.5 | 海鹿島駅 | 1970年3月(銚子電鉄) |
海鹿島駅 | 0.4 | 小畑新町 | 1913年12月(銚子遊覧鉄道) |
君ヶ浜駅 | 1.1 | 君ケ浜 | 1931年6月(銚子鉄道) |
(灯台前駅→)犬吠駅 | 0.8 | 犬吠埼 | 1935年8月(銚子鉄道) |
犬吠駅 | (廃駅) | 1913年12月(銚子遊覧鉄道) | |
外川駅 | 0.9 | 外川町 | 1923年7月(銚子鉄道) |
笠上黒生駅
銚子遊覧鉄道は4年で廃線となりレールは売却されますが、1923年に銚子鉄道によって外川駅まで延伸されて復活します。電化された1925年に開業したのが笠上黒生(かさがみくろはえ)駅です。
駅舎があるのは笠上町ですが、駅名は海に近い黒生町(くろはいちょう)も付加して「笠上黒生」です。並列連称駅名であり、森宮野原駅より半年前に開業しています。
内房線の那古船形駅
内房線で館山駅の1つ手前が那古船形(なこふなかた)駅です。
内房線は次のように延伸されています。3列目は千葉駅からの営業キロ数です。
1912年3月 | 姉ケ崎駅 | 18.9 | 市原市 |
1912年8月 | 木更津駅 | 35.1 | 木更津市 |
1915年1月 | 上総湊駅 | 58.9 | 富津市 |
1916年10月 | 浜金谷駅 | 67.8 | 富津市 |
1917年8月 | 安房勝山駅 | 74.6 | 鋸南町 |
1918年8月 | 那古船形駅 | 85.9 | 館山市 |
1919年5月 | 館山駅 | 89.7 | 館山市 |
1921年6月 | 南三原駅 | 106 | 南房総市 |
1922年12月 | 江見駅 | 115.2 | 鴨川市 |
1924年7月 | 太海駅 | 119.8 | 鴨川市 |
1925年7月 | 安房鴨川駅 | 123.2 | 鴨川市 |
那古船形駅は所在地としては館山市船形ですが、内陸側の那古(なご)との同格連称駅名です。間に挟まれている川名の立場はどうなるのかと思ってしまいますが、調べてみると開業当時の基礎自治体は安房郡船形町と那古町で、川名は那古町でした。
那古観音と崖観音の行基伝承
駅の西側にある文マークは館山市立船形小学校、那古の文字の下にある文マークは市立第一中学校です。那古が前に来たのは那古寺のネームバリューなのかもしれません。2022年12月撮影のストビューです。
この那古観音については行基伝承があります。
開山は養老元年(717)。元正天皇が病に伏した折り、行基菩薩が海から得た香木で千手観音菩薩を彫り、平癒を祈願したところ、たちどころに快復。その報謝として建てられたといいます。
安房国札観音霊場巡り>第一番 那古寺
717年は行基と朝廷の関係がよろしくなかった時代ですが、船形の崖観音も行基由来です。
この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。
大福寺>崖観音
八面六臂の大活躍です。
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