水島と玉島を高梁川河口で結ぶ「倉敷みなと大橋」

時季外れの合併

玉島市と児島市が(旧)倉敷市と合併して、(現)倉敷市が発足したのは1967年です。いわゆる「昭和の大合併」は1953年から1961年にかけてでした。時季外れの合併にはそれなりの事情があったようです。

旧倉敷市・児島市・玉島市の旧3市が合併することとなったが、そのきっかけとなった理由は、それら旧3市で臨海工業地帯の工場用地にまつわる領有権争いを互いに回避したいとの思惑があったためと言われている。

Wikipedia>倉敷市

Wikiにはこのように記載されていますが、この点に関してはソースが示されているわけではありません。旧・倉敷市と玉島市の境界は高梁川です。合併前の地図を見ると、高梁川河口付近には中州があり、地図上の境界線では中州は玉島市の市域です。

中洲の延長上には埋立地はありませんので、境界争いが起こるように私には見えません。いずれにせよ、合併後に臨海部の大規模な埋め立てが進み、西日本屈指の工業地帯となります。

倉敷市沿岸部(地理院タイルを加工)

ピンクが高梁川に架かる「倉敷みなと大橋」です。合併前当時の海岸線はこの付近でした。

2017年3月開通

倉敷みなと大橋の開通は2017年です。2014年の航空写真では橋桁だけが見えます。

建設中

完成後の2018年です。

倉敷みなと大橋

橋の南、川の中央に見えるのは鉄塔です。玉島側の発電所から水島側に送電されています。上の写真で見えないのは単に明るさの問題で、橋の開通と前後して架線が張られたわけではありません。

倉敷みなと大橋は片側1車線ですが、南側には歩道が設けられていて自転車や徒歩で通行することも可能です(横断歩道の信号は押しボタン式)。形式的には河川橋ですが、埋立地ですから川の水は淡水ではなく海水です。

最下流の橋

玉島と水島を結ぶ架橋は4本目となります。

高梁川河口
高梁川河口(地理院タイルを加工)

最上流は国道を結ぶ歩行者・二輪車用の橋(霞橋)です。戦前の築で1985年から人道橋となりました。その下流に新霞橋が架橋されたのは1968年です。片側2車線の自動車用の橋です。水玉ブリッジは片側1車線で、1977年に開通して2006年に無料化されています。

これらは見た目にも老朽化が進行しており、備えは必要だったものと思われます。玉島の埋立地の先端付近には物流拠点の国際コンテナターミナルがあり、コンテナ検査の税関もここにあります。橋の延長は2564mとされており、国内8位相当です。

どこからどこまでが橋の「延長」なのかは難しい問題かもしれません。2.5キロになるのはピンクの部分です。2021年投稿の空撮です。

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