行かずに命名? 父島の名称は嘘から出た真?

「シーサイド、露場が波しぶきを浴びそうな父島気象観測所」のページから、小笠原神社とアクセス関係を移して、小笠原諸島各島の最高標高を加えました。

巽(辰巳)の方角

父島の中央部にある小笠原神社に祀られているのは、1593年(文禄2年)に小笠原諸島を発見したとされる小笠原貞頼です。1727年(享保12年)、貞頼の子孫を称する小笠原貞任は貞頼の渡航記「巽無人島記」を添えて、幕府に対して小笠原諸島への渡航と領有権を願い出たということです。

父島列島(地理院タイルを加工)

父島と母島の名称は、この「巽無人島記」に由来するもののようです。方位としての「巽(辰巳)」とは南東です。南なら「午(うま)」ですし、南南東なら「丙(ひのえ)」です。

父島
父島の位置(地理院タイルを加工)

タイトルからして若干怪しいわけですが、渡航は認められて翌年に貞任の甥・長晁が出航します。ところが、長晁は遭難して消息を絶ちます。貞任が再渡航を申し出た際に、南町奉行所は貞任が根拠としていた「巽無人島記」をフィクション認定します。

「巽無人島記」には亜熱帯の小笠原諸島にオットセイが生息するとの記述もあったようです。幕府は1675年に調査団を派遣しており、その報告との整合性が問われたということです。再渡航は認められず、貞任は身分詐称も問われて財産没収となります。

「フィクション」を生かして

幕末の1830年には約6000キロ離れたハワイから父島への入植があり、ペリー提督も父島に寄ってから浦賀を訪れたようです。領有権は国際問題になります。アヘン戦争は1840年に始まり、南京条約で香港が割譲されるのが1842年です。

日本の領土であることを主張するために、フィクション認定された「巽無人島記」が利用されます。結局、この作戦は効を奏して、1876年(明治9年)に小笠原諸島は日本の領土として国際的に認められます。

1593年(文禄2年)小笠原貞頼が小笠原諸島を「発見」?
1639年(寛永16年)オランダ船が父島・母島を「発見」
1670年(寛文10年)紀州から江戸に向かっていた阿波国の船が母島に漂着、生還
1675年(延宝3年)幕府の命で嶋谷市左衛門一行が小笠原諸島を探索調査
1727年(享保12年)小笠原貞任が南町奉行所に小笠原諸島への渡航と領有を願い出る
1733年(享保18年)小笠原長晁が大阪から出航し消息不明
1735年(享保20年)貞任が追放処分
1827年(文政10年)イギリス軍艦が小笠原諸島に寄港し命名
1830年(天保元年)ハワイ・オアフ島から父島に入植
1853年(嘉永6年)ペリー提督が父島に立ち寄り、島内調査
1861年(文久元年)幕府が「咸臨丸」を派遣
1875年(明治8年)明治政府が「明治丸」を派遣
1876年(明治9年)日本領として国際的に認定
1944年(昭和19年)軍属を除く全島民が強制疎開
1968年(昭和43年)返還

父島や母島の命名時期については3つの説があるようです。

(1)「巽無人島記」(辰巳無人島訴状幷口上留書)
(2)嶋谷市左衛門の報告書
(3)幕末に長崎奉行や神奈川奉行を務めた水野忠徳

(1)はどうやら現存しないようです。(2)は国会図書館のデジタル・アーカイブで閲覧しましたが、「父島」の記載は見つかりませんでした。(3)については「聟島」などはそうなのだろうと思われます。

「辰巳無人島訴状幷口上留書」には父島、母島、兄島などの島名が記されており、各島の島名の由来となった。

Wikipedia>小笠原貞頼

この記述が正しいのなら、貞任がでっち上げた?だけの「父島」も「母島」が、結果的にはオフィシャルなものになったわけです。

小笠原神社の呪縛

ところで、ごく一部の旅行サイトでは小笠原神社の創建が1593年!とされています。貞頼は上陸しただけでなく、自身を祀る神社まで建てていたことになります。そもそも貞頼の航海自体が怪しいわけですが、トラベルライターさんによってフィクションは連鎖していくものかもしれません。

命名時期についても、似たような誤解があちこちで生じている可能性があります。小笠原島の呼称が定着したのは「巽無人島記」です。父島など個々の島名については、すべてが同時期ということはないはずです。

なお、父島には空港がありません。竹芝桟橋11:00発の定期船「おがさわら丸」が父島に到着するのは翌日の11:00です。ブラジルに行くよりは短くて済むようです。2022年GWの運航は次のとおりです。

東京発父島着父島発東京着
3日(火)11:004日(水)11:004日(水)15:305日(木)15:30
6日(金)11:007日(土)11:007日(土)15:308日(日)15:30
▲2022年GWの運行スケジュール

1隻体制ですので、繁忙期でもこれ以上は過密にできません。3時間の滞在で済ますとしても、帰ってこられるのは翌々日の午後です。もっとも安い2等和室でも片道3万円を超えます。往復割引はありません。

ノープランで気軽に行ける島ではありませんが、オンシーズンはクルーズ船のコースに父島が組み込まれることがあるようです。

小笠原群島と小笠原諸島

東京都に属する面積1km2の島は全部で25島あります。そのうち14島が「小笠原島」ですが、有人島は父島と母島だけです。2022年1月1日時点の「全国都道府県市区町村別面積調」(84ページ)による面積と、地理院地図による最高標高点は次のとおりです。

聟島列島聟島(むこ-)2.56k㎡88.4m三角点
聟島列島媒島(なこうど-)1.37k㎡154.9m三角点
父島列島弟島5.20k㎡235m測量点
父島列島兄島7.88k㎡253.9m三角点
父島列島父島23.45k㎡326m測量点
母島列島母島19.88k㎡462.4m三角点
母島列島向島(むこう-)1.38k㎡163.8m三角点
母島列島姉島1.43k㎡116.5m三角点
母島列島妹島1.23k㎡216.1m三角点
西之島2.89k㎡160m測量点
火山列島北硫黄島5.56k㎡792m測量点
火山列島硫黄島23.73k㎡170m測量点
火山列島南硫黄島3.54k㎡916m測量点
南鳥島1.46k㎡9m測量点
▲小笠原諸島

一般的には聟島列島、父島列島、母島列島の総称が「小笠原島」と呼ばれています。硫黄島などの3島は火山列島であり、小笠原島には含まれません。父島の西130キロにある噴火で増殖した西之島については、火山列島に含まれるかどうか両論あるようです。地理院地図では火山列島扱いのようです。

小笠原諸島
小笠原諸島(地理院タイル

南鳥島は南硫黄島とほぼ同緯度で、南硫黄島の1270キロ東になります。「小笠原島」というくくりでは、小笠原群島+火山列島(+西之島)+南鳥島が一般的なようです。

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