熊本県・不知火町の柏原は「~ばら」or「~はら」

かしわばらvsかしわはら

熊本県宇城市不知火町(うきし しらぬひまち)柏原の「柏原」の読みが、ゼンリン系は「かしわら」と濁りますが、郵便番号系では「かしわら」と清音です。きれいに二分されています。

いつもNAVIかしわばら
NAVITIMEかしわばら
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goo地図かしわばら
コトバンク(かしわばら
みずほ銀行かしわばら
日本郵政かしわはら
Weblio辞書かしわはら
日本ソフト販売かしわはら
地名辞典オンラインかしわはら
送料の虎(かしわはら
漢字書き順辞典かしわはら
ゆうびんねっとかしわはら
MEMORVAかしわはら
Cubeかしわはら
▲不知火町「柏原」の読み

要は、元になっているデータベース次第なのでしょう。なお、印の2件については2019年6月に調べたときはあったはずですが、2022年2月時点では確認できませんでした。

宇城市の柏原地区はせいぜい50世帯です。不知火町御領との境界に1つだけ信号がありますが、交差点名の標識はありません。遺跡も小学校もありません。

不知火町柏原
不知火町柏原(地理院タイルを加工)

宇城市のWebサイトでも読み方は示されていません。周辺で「原」のつく地名としては不知火町長崎の「桂原遺跡」があります。柏原地区から約4kmの至近距離です。宇城市Webサイトでは読みが「かずわら」になっています。

宇土市と氷川町の「~原」

宇城市の北に隣接する宇土(うと)市で、「原」のつく大字は次の6か所です。郵便番号検索では次のような読みになります。念のために「いつもNAVI」でも調べてみましたが、相違はありませんでした。

  • 北段原町(きただんばらまち)、南段原町(みなみだんばらまち)
  • 笹原町(ささわらまち)
  • 松原町(まつわらまち)、新松原町(しんまつわらまち)
  • 椿原町(つばわらまち)

南に隣接する八代郡氷川町で「原」が入る大字は3か所です。

  • 河原(かわはら)
  • 宮原(みやはら)、宮原栄久(みやはらえいきゅう)

さらに南北に広げて熊本市と八代市の「~原」を調べてみましたが、決定的な傾向は見えてきません。九州特有の「ばる」もありますし、「わら」も「ばら」も「はら」もあります。

今のところ「かしわはら」は全国的には少数派であって、とくに西日本では見かけません。ただ、バカ・アホ分布のようにもし京都中心の同心円を描くなら、熊本に「かしわはら」があってもいいわけです。とりあえずMAP上では「かしわばら」扱いとします。

景行天皇の不知火伝説

不知火町は、2005年に土郡三角町、下益郡松橋町・小川町・豊野町と合併しています。不知火町は宇土郡でした。

合併前の不知火町は歴史的仮名遣いの「しらぬひ」を正式なフリガナとしており、合併後は字名の前に合併前の町名をつけることになりました。形式的には「しらぬひ」ですが、実際の読みはもちろん「しらぬい」です。

第12代・景行天皇(ヤマトタケルの父)の伝説に基づいていますので、歴史的仮名遣いを捨てきれなかったものと思われます。

 景行天皇が王権に背いた南九州の熊襲征伐を遂げ、都に戻られたときのお話。
 天皇は日奈久辺りから船出され、宇土半島を目指していらっしゃいました。すると航行中に日が暮れはじめ、次第に闇夜に包まれる八代海。船頭は行き先が分からなくなっていると、突然はるか前方に現れた火の光。天皇の命により光の方へ船を進ませると、無事に岸へとたどり着いたそうな。
 天皇が里人に「何という村か」と尋ねられると、「八代県豊村(豊福)です」と、また火のことを問われると「その火の主は知りません」と答えました。
 天皇はこの地を「火の国」、その火を「不知火」と名付けられたとさ。

宇城市>不知火と松橋の昔ばなし 不知火伝説
日奈久と豊福
日奈久と豊福(地理院タイルを加工)

当時は干拓や埋め立てされる前の八代海です。日奈久から船を出して暗闇の中で豊福方面に光が見えたということのようです。「知らない」から「しらぬい」というわけです。

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