琵琶湖の水位低下、滋賀県10月の降水量は前年比3割以下

【2023/11/25追記】琵琶湖の場合、水位がマイナス60センチになるとニュースになるもののようです。このページは2021年に公開しましたが、2年前は取水制限には至りませんでした。

滋賀県ほぼ全域の雨を集める琵琶湖

琵琶湖の湖面標高は84mとされています。安曇川の河口付近では水深が100mを超えるところがあるそうですので、湖底が海面より低い水域もあるわけです。

水位は季節変動を伴いますが、2~3日前から琵琶湖の水位低下がニュースになっています。マイナス65センチに達して滋賀県が水位低下連絡調整会議を設置したからです。11月19日現在ではマイナス66センチです。季節的に今後の雨はあまり期待できず、遠からず取水制限に至りそうです。

【外部リンク】
■国土交通省水文水質データベース>リアルタイム10分水位一覧表 琵琶湖

琵琶湖への流入河川は450本あると言われています。琵琶湖に注ぐ川の源流を赤マーカーでマッピングしてみました。紫マーカーは琵琶湖から流出する瀬田川に合流する河川の源流です。

滋賀県全域から琵琶湖へ
琵琶湖の源流(地理院タイルを加工)

京都府側からの越境が一部ありますが、おおむね県境が分水嶺です。滋賀県のほぼ全域に降った雨を蓄えているのが琵琶湖ということになります。

10月の降水量

滋賀県内のアメダス観測所は12か所ありますが、アメダス信楽に近い大戸川は大津市内で瀬田川に合流して、琵琶湖には流れ込みません。信楽を除く残り11か所の10月の降水量は次のとおりです。

2019年2020年2021年前年比平年比平年値
長浜209.0155.536.523.5%27.8%131.5
米原228.5183.537.020.2%24.7%149.6
彦根261.0196.030.015.3%21.3%140.7
東近江335.5126.045.536.1%32.0%142.0
土山326.5277.553.519.3%34.1%156.8
近江八幡262.0228.038.516.9%27.5%140.1
大津322.5242.543.017.7%28.8%149.1
南小松292.0187.044.023.5%28.5%154.5
朽木平良369.0174.594.554.2%42.0%224.8
今津205.0165.552.031.4%35.0%148.5
柳ケ瀬272.5174.573.542.1%40.6%181.0
11地点計26.0%31.9%
▲滋賀県内の10月の降水量

2021年10月は前年比で26%、平年(1991-2020)比で32%です。グラフ化してみました。

滋賀県内アメダスの10月の降水量
気象庁>長浜(滋賀県)2021年(月ごとの値)主な要素など

11月もこの状態が継続しています。1976年観測開始の近江八幡では今年8月の月間降水量が観測史上4位の471.5ミリで8月としては最多でした。前線が停滞したお盆の時期には避難所が開設されたほどです。降らなければ降らないでこうなってしまうわけで、泣く子と天気には勝てません。

アメダス近江八幡

アメダス近江八幡は市役所近くの住宅地と農地の境にある雨量のみの観測所です。2020年の年降水量は1662ミリで1293地点中731位でした。多雨地域ではありません。2016年4月の衛星写真です。

アメダス近江八幡

中央に見える矩形の区画は1年前の衛星写真には写っていません。

アメダス移転前

2015年に近くから移転してきたようです。月別の降水量は次のとおりです。

アメダス近江八幡の月別降水量

この様子では琵琶湖の水位が好転するのは春を待たなければいけないのかもしれません。

宇曽川は「うそ川」

地図の赤マーカーはアメダス所在地です。アメダス大津は草津側にあります。

宇曽川(うそがわ)
宇曽川(地理院タイルを加工)

近江八幡市内を流れているわけではありませんが、東近江市を源流として愛荘町、豊郷町、彦根市と流れる宇曽川という川があります。450の琵琶湖流入河川の1つです。宇曽川は「うそがわ」と読みます。2019年4月撮影のストビューです。

宇曽川

国道8号線ではなかったかもしれませんが、思わず看板を二度見したのを覚えています。さすがにこの名前はオンリーワンと思われます。由来については、彦根市Webサイトに記述されています。

宇曽川の名のいわれには次の3つの説があります。
・むかし舟で年貢米を運漕したことから運漕川が「宇曽川」と呼ばれるようになった。
・水があると思っているといつのまにか干上がり、少し雨が降るとたちまち湧き出るように水が押し寄せてくる、うそのような川だと言うことから「宇曽川」と呼ばれるようになった。
・織田信長が金剛輪寺を焼き払おうと攻撃を始めたとき、金剛輪寺から火の手があがったので、信長軍はもはや寺は焼けたと思い攻撃をやめた。ところがこれは真っ赤な嘘で、住職が本堂右手の高台で火を燃やさせたのであった。つまり住職の機智が金剛輪寺を救ったのである。そこで寺の近くから琵琶湖へ流れる川を宇曽川と名付けた。

彦根市>歴史 宇曽川のいわれ

後ろの2つに後付け感が漂います。

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