(゚Д゚)ハァ? 文鮮明氏「列車の下に張りついて」

そんなことはできない

Wiki「文鮮明」のページに次のような引用文があります。

皆さんは知らないけれど、玄界灘を渡り、釜山から安東まで列車の下に張りついて行くようにして、上海の臨時政府に派遣する、そのようなこともしました。安東まで汽車で行くのに8時間から9時間ですが、そのようなことまでしたのです。

Wikipedia>文鮮明 引用元『真の御父母様の生涯路程 2―文鮮明先生御言精選ー韓国解放と摂理の出発』光言社

北朝鮮と接する中国・遼寧省の丹東市は1965年まで「安東市」でした。1940年代前半に釜山から汽車で8~9時間なら、中国の安東ではなく韓国・慶尚北道の安東(アンドン)のことだと思われます。

釜山~安東

(゚Д゚)ハァ? は「列車の下に張りついて」です。私はこれを「車体の下にしがみつく」と解釈しました。次の画像の矢印部分です。

車体の下にしがみつけるか?

上でも横でも連結部分でもなく「下」なのですから、そういう解釈しかできません。車内の床に這いつくばるのは、邪魔なうえに不審に思われるだけです。もともと重力に逆らうのが「張りついて」のはずです。

車両と線路の隙間は20センチ

張り付く

このイラストの忍者は壁の隅を利用して「張りついて」いますが、この姿勢でさえ長時間維持できるものではありません。それが8~9時間可能なのはフィクションの世界です。

鉄道車両の底と線路との間にはどの程度の隙間があるのか、現代日本の鉄道事情ではおおむね21センチだそうです(鉄道会社や路線により異なるということです)。
(1)車両の底とレール上部の間=最低5センチ
(2)レールの高さ=約15センチ
(3)レールと枕木の間の緩衝材=約1センチ

【外部リンク】
■乗りものニュース>命を救う「線路と車両の隙間」 どの体格までOK?

列車が接近し、左右に逃げるのが不可能で、ほかの選択肢がなかったとしても、私には仰向けになる勇気はありません。足にケガを負っていてまったく動けないとか、左右の壁で逃げ込むスペースがないとか、よほど特殊な状況でない限り、レール間にとどまるという選択は避けたいところです。

冷静に考えると、レール間に這いつくばった場合は、お尻のポケットで持っていかれることもあり得るわけです。案外、仰向けのほうが生還率は高いのかもしれません。

ただ、大人用の靴のサイズで20センチ以下はありませんので、仰向けでは足先を寝かさないとアウトです。それに、鼻の頭だけ切り裂かれる可能性があります。車体が鼻骨に当たって車両下でゴロゴロ回転することになるなら、鼻の高さを恨みたくなります。

体のどこか一部が車体の底に触れただけでアウトというルールのゲームなのです。やはり、うつ伏せが「正解」なのでしょう。頭は列車に向けるべきです。どうせミンチになるのなら、意識を失ってからがいいに決まっています。

ミンチを避けられるのか?

線路に這いつくばっても高リスクなのに、車体にしがみつくというのは正気の沙汰ではありません。しがみつけるはずもありません。鉄棒のぶら下がりは、2分持てば上出来の部類で、5分続けばクラスで1番のはずです。

貨車なら可能かも

ひょっとすると、当時の韓国には車両の床下が30センチほどの貨車があったのかもしれません。貨車なら構造的にはシンプルなはずです。

その場合でも命綱となる補助具を複数用意しない限り、腕力だけでしがみつくことはできそうにありません。ゴーグル的な防護具も必要でしょうし、照明付きのヘルメットもほしいところです。ますます人目を忍んでスタンバイできるとは思えません。

なぜ普通に乗車せず「列車の下に張りつ」く必要があったのか、説明されていません。単に資金不足で電車代が工面できなかったのかもしれませんし、手配されていて身柄を押さえられる恐れがあったのかもしれません。

いっそのこと保線作業員風の格好をして、安東の補充要員に化けたほうがミンチのリスクを負うよりマシだと思われます。車掌に金を渡せばなんとかなりそうなものです。カルロス・ゴーン氏のように荷物に紛れ込むのはより現実味があります。

「列車の下に張りついて」は調子に乗って盛りすぎてしまった作り話にしか思えません。まあ、文鮮明氏が自分で書いたわけではないのでしょうから、ライターが不用意に盛って、常識に欠ける編集者がスルーしてしまっただけかもしれません。

天国は歩いて行くもののようだ

構いたくない話は鶴が舞う夢のほかにも沢山あります。何かの引用と思われますが、引用元が示されていませんので、孫引きするしかありません。

ある時、尾瀬研修所の戸をたたく音がしました。すると、金成治子役事(1985年昇華)が霊的に現れたのです。そして、金成役事は、「戸丸さん、私は靴をわすれてきて歩けません。天国に行けないのです」と訴えていました。わたしが「どこに忘れてきたのですか」と尋ねると、「ニューヨークです。真のご父母様にいただいた一番大切なものです」と言われるのです。
すぐに、アメリカに電話をして、その靴を送ってもらいました。そして靴を金成役事の棺に入れてあげたのです。すると、今度は、「胸が痛い。そんなところにおいたら靴を履けない」と言うのです。私は、「これは、悪かった」と思って、靴を足の方に入れ直してあげました。すると金成役事がとても喜んでいるのがわかりました。

てるえ さかど「合同追慕礼拝 日本統一運動の礎となられた方達」25.金成治子役事の霊界通信

旧・統一教会(統一協会)では、以前の「昇華」を今は「聖和」と呼んでいます。「霊的に現れた」が信仰心のない私には理解の外ですが、お亡くなりになった金成(かなり)氏が「靴を忘れた」とおっしゃったようです。

村議に当選したことがあると思われる尾瀬霊園の戸丸氏は、ニューヨークから靴を空輸してもらって金成氏の棺に収めたようです。1985年当時の尾瀬霊園は土葬だったものと思われます。NYから靴が届くまで土葬を待ったのでしょう。

それにしても、靴がないと歩けないという理屈もよくわかりません。尾瀬霊園は1983年の開園です。金成氏以前は靴を棺に入れる習慣がなかったということになります。車椅子は分解して入れるものかもしれません。

なお、火葬の場合は靴を副葬品とするのはNG扱いされています。革やビニールやゴムを燃やすのが環境的によろしくないばかりか、溶けて骨に付着してしまうためです。歩けないのが心配なら「わらじ」でも入れるしかありません。

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