アメダス増毛と雄冬峠展望台駐車場の墓地に雄冬遺跡

増毛町の願い

「増毛町の願い」という名前のヘアローションがあります。その昔、桂歌丸をゲストに迎えたクイズダービーで紹介されたことがあるそうですので、少なくとも30年以上の歴史を持つ商品のようです。ラベルの「町」という字の大きさ(小ささ)がポイントです。

増毛町の願い
増毛町の願い

増毛町(ましけちょう)Webサイトは、町名の由来を「鰊(ニシン)が群来(くき)ると海一面にかもめが飛ぶことから、 アイヌ語で「かもめの多いところ」という意味の「マシュキニ」又は「マシュケ」が転じたもの」と説明しています。どうやら、お目当ての効果があるかどうかは別の問題のようです。

アメダス増毛はそれほど広くない市街地から外れた田んぼの中です。いたって開放的な空間にあります。標高は20mということです。高台というわけではありませんが、日本海まで500mほどです。

アメダス増毛

2020年の観測値は次のとおりです。1976年の観測開始ですが、年平均気温9℃以上は2年連続4回目でした。

年降水量1100.5ミリ1111位/1293地点
年平均気温9.2℃748位/922地点
年最高気温33.2℃742位/922地点
年最低気温-16.3℃775位/922地点
年較差49.5℃142位/922地点
年平均風速4.3m/s76位/921地点
年日照時間1577.7時間594位/841地点
▲アメダス増毛の2020年観測値

雄冬峠の展望台

アメダス増毛から18キロほど離れた石狩市の境界近くにあるのが雄冬(おふゆ)峠です。市町境界は振興局(支庁)境界でもあります。尾根を境界にしたのでしょうが、雄冬の集落は増毛町と石狩市にまたがっています。

雄冬
雄冬(地理院タイルを加工)

雄冬峠展望台の駐車場は標高110m付近にあり、展望台は木製の遊歩道を登った標高140m付近です。1998年竣工のようです。展望台は11月から3月まで冬季休業ということですが、展望台まで登らなくても、途中の遊歩道から日本海を望む絶景が楽しめるそうです。埋め込んだのは2019年4月撮影の360°写真です。

左手に駐車場の区画が見えます。その奥にあるのはお墓です。日本人ドライバーの習性で前向き駐車すると、墓石に排ガスをかける位置関係になっています。他人とは言え、いや他人だからこそ、多少なりともためらいがあります。

海外で有名な観光スポットでなくてよかったのかもしれません。外国人があの形状をお墓だと認識するとは限りません。なぜここを墓地にしたのだろうというのが第1の疑問です。標高100mまで登る必要があったのでしょうか?

極寒の地の急斜面にある墓地

やんごとなき方々ではなく一般人の墓のようですが、さらに気になるのが右端の墓の側に立つ木柱です。そこには「雄冬遺跡」と記されています。遺跡と墓は何か関係があるのでしょうか。北海道教育委員会Webサイトは雄冬遺跡について次のように記載しています。

縄文中期の石器等の破片が数多く出土され、崖錐堆積による巨大石が林立し、その間 には住居址があると言われている。

北海道教育委員会>市町村指定文化財一覧 p25

北海道内の縄文遺跡はそれほど珍しいわけでもありません。ただ、ここは標高100m以上です。海岸沿いの国道231号線(オロロンライン)から駐車場までストビューで登ってみましたが、途中に沢らしきものも見当たりません。

▲このページの作成当時、国道231号線から展望台駐車場までのストリートビューがたしかに存在していましたが、削除されてしまったようです。

生活に不可欠な水をどう確保していたのだろうという疑問をひとまず置くとしても、 「崖錐堆積」とは穏やかではありません。「崖錐堆積」すなわち崖崩れ跡です。 再度起こる可能性は十分にあるはずです。

おそらく海岸には豊富な水産資源があったのでしょう。食糧には困らなかったのかもしれません。わざわざ海岸から登って酷寒の傾斜地に住居を構えるだけの理由について、あいにく私の想像力は及びませんでした。

さて、雄冬遺跡が増毛町の史跡に指定されたのは1979年ということです。展望台をつくったときに遺跡が見つかったというわけではなさそうです。遺跡が見つかる前からお墓はあったのかもしれません。墓石はほぼ同時期に同じ石材で作られているようにも見えます。展望台の駐車場を確保するために墓を移動させる必要があり、そのときに新調されたということなのかもしれません。

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