1924年第10回のウラ優勝校
1924年第10回中等学校野球大会は初めて甲子園球場で開催されました。広島商は商業校としての初優勝です。
松本商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
広島商 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | X | 3 |
決勝で負けた松本商に準決勝で負けたのは鳥取一中です。
鳥取一中 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 |
松本商 | 1 | 1 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | X | 9 |
鳥取一中に準々決勝で負けたのは宇都宮中です。
鳥取一中 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 |
宇都宮中 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 1 | 4 |
2回戦で宇都宮中に負けたのは佐賀中でした。
佐賀中 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 7 |
宇都宮中 | 1 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 3 | 2 | X | 10 |
19校参加ですので、佐賀中は1回戦を戦っていません。
棄権
九州大会の決勝で佐賀中に負けたのは長崎商です(10対3)。長崎商に準決勝で負けたのは長崎中です(6-2)。準々決勝で長崎中に負けたのは唐津中です(11対6)。唐津中は対馬中の棄権で1回戦を勝ち上がっていますので、第10回のウラ優勝校は対馬中になります。
甲子園球場はこの年の8月1日竣工です。翌1925年に東京六大学野球が始まり、1926年秋に神宮球場が完成していますが、プロ野球の発足までまだ10年あります。この時点で、離島の対馬に野球が普及していたというのはいささか驚きです。
棄権ということですから、旅費が工面できなかったのか海が荒れたのか、理由としてはそんなところかもしれません。対馬中の実質的な初参戦は5年後の1929年第15回大会です。修猷館に1対12で敗れています。
3度目の挑戦が1950年の第32回大会で、このときも棄権しています。初勝利は実質2戦目となる1978年第60回大会です。鹿町工に4対0で完封勝ちしています。最初に手を挙げてから50余年、1924年当時の選手たちは70歳に達しています。
Wikipediaの「長崎県立対馬高等学校」のページは「沿革」がかなり細かく、公式サイトをはるかにしのいでいます。1906年11月7日に「桟原33番地(現・対馬市立厳原中学校校地)に移転」との記述があります。現在地への移転が1978年ですので、1924年当時の学校所在地は今の厳原中です。

ちなみに、対馬北部の上対馬高校は1998年のウラ優勝校です。
対馬へのアクセス
離島ですから、対馬に行くなら空路か海路になります。壱岐・対馬は距離的には佐賀県に近く、長崎県に属していますが、福岡発着がメインルートです。
福岡空港 | 対馬空港 | プロペラ機 | 30分 | 5往復/日 |
長崎空港 | 対馬空港 | プロペラ機 | 35分 | 4往復/日 |
博多港 | 厳原港 | フェリー | 4時間40分 | 2往復/日 |
博多港 | 厳原港 | 高速船 | 2時間15分 | 2往復/日 |
博多港 | 比田勝港 | フェリー | 5時間50分 | 1往復/日 |

対馬空港は1900m滑走路のジェット機対応でかつてはボーイング737が就航していましたが、2021年10月時点の福岡便はすべてボンバルディアのプロペラ機です。
船便は早朝や夕方遅くに到着する便が多く、何の手配もなく広い離島の暗闇の港に降ろされたら、右往左往すらできません。実際に利用できそうなのは、12:45厳原着の高速船と14:45厳原着のフェリーの2本だけです。
、空路は福岡空港と長崎空港から1日各4往復です。長崎はプロペラ機のようです。海路は博多港から高速船とフェリーで計1日5往復ということです。
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