54年後の初勝利、第10回ウラ優勝校の対馬中→対馬高

1924年第10回のウラ優勝校

1924年第10回中等学校野球大会は初めて甲子園球場で開催されました。広島商は商業校としての初優勝です。

松本商0000000000
広島商00000003X3
▲決勝

決勝で負けた松本商に準決勝で負けたのは鳥取一中です。

鳥取一中2100000003
松本商11016000X9
▲準決勝

鳥取一中に準々決勝で負けたのは宇都宮中です。

鳥取一中1004000005
宇都宮中1000001114
▲準々決勝

2回戦で宇都宮中に負けたのは佐賀中でした。

佐賀中0200140007
宇都宮中10003132X10
▲2回戦

19校参加ですので、佐賀中は1回戦を戦っていません。

棄権

九州大会の決勝で佐賀中に負けたのは長崎商です(10対3)。長崎商に準決勝で負けたのは長崎中です(6-2)。準々決勝で長崎中に負けたのは唐津中です(11対6)。唐津中は対馬中の棄権で1回戦を勝ち上がっていますので、第10回のウラ優勝校は対馬中になります。

甲子園球場はこの年の8月1日竣工です。翌1925年に東京六大学野球が始まり、1926年秋に神宮球場が完成していますが、プロ野球の発足までまだ10年あります。この時点で、離島の対馬に野球が普及していたというのはいささか驚きです。

棄権ということですから、旅費が工面できなかったのか海が荒れたのか、理由としてはそんなところかもしれません。対馬中の実質的な初参戦は5年後の1929年第15回大会です。修猷館に1対12で敗れています。

3度目の挑戦が1950年の第32回大会で、このときも棄権しています。初勝利は実質2戦目となる1978年第60回大会です。鹿町工に4対0で完封勝ちしています。最初に手を挙げてから50余年、1924年当時の選手たちは70歳に達しています。

Wikipediaの「長崎県立対馬高等学校」のページは「沿革」がかなり細かく、公式サイトをはるかにしのいでいます。1906年11月7日に「桟原33番地(現・対馬市立厳原中学校校地)に移転」との記述があります。現在地への移転が1978年ですので、1924年当時の学校所在地は今の厳原中です。

厳原中学校
厳原中学校(地理院タイルを加工)

ちなみに、対馬北部の上対馬高校は1998年のウラ優勝校です。

対馬へのアクセス

離島ですから、対馬に行くなら空路か海路になります。壱岐・対馬は距離的には佐賀県に近く、長崎県に属していますが、福岡発着がメインルートです。

福岡空港対馬空港プロペラ機30分5往復/日
長崎空港対馬空港プロペラ機35分4往復/日
博多港厳原港フェリー4時間40分2往復/日
博多港厳原港高速船2時間15分2往復/日
博多港比田勝港フェリー5時間50分1往復/日
▲アクセス(2021年10月時点)
対馬へのアクセス
対馬へのアクセス(地理院タイルを加工)

対馬空港は1900m滑走路のジェット機対応でかつてはボーイング737が就航していましたが、2021年10月時点の福岡便はすべてボンバルディアのプロペラ機です。

船便は早朝や夕方遅くに到着する便が多く、何の手配もなく広い離島の暗闇の港に降ろされたら、右往左往すらできません。実際に利用できそうなのは、12:45厳原着の高速船と14:45厳原着のフェリーの2本だけです。

、空路は福岡空港と長崎空港から1日各4往復です。長崎はプロペラ機のようです。海路は博多港から高速船とフェリーで計1日5往復ということです。

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