大分市稙田(わさだ)で指差すゴリラが道案内

サインポールではないけれど

イタリアンなサインポールを探しているうちに、ゴリラのオブジェを見つけてしまいました。看板の上に乗ったゴリラが左手(左前足)で左折を促している道案内のオブジェです。誰が主導して設置したのか気になります。

(A)国道442号線角地の土地所有者
(B)看板記載の施設
(C)オブジェの製作業者

需要がないことには成立しない話です。案内看板がほしかったBがAに持ちかけたと考えるのが自然です。A発信の可能性は否定できませんが、C発信なら両当事者を口説かねばならず、ちょっと無理筋なのかもしれません。ただ、A=Bだったり、A=Cだったり、B=Cだったりする可能性もあります。

稙田にあるゴリラのオブジェ

埋め込んだのは2020年11月撮影のストビューです。「あいあるPLACE」の看板の上にゴリラが乗っかっています。設置箇所は国道沿いの鋭角の角敷地です。大分市街地から大型ショッピングセンターに向かう途中の下り車線側です。

変遷

実は、この看板は最初から「あいあるPLACE」ではありませんでした。ストビューを遡ると次のようになります。

2017年4月以前宗方歯科
2018年6月稙田ほまれ保育園
2020年11月以降あいあるPLACE
▲看板の広告主

位置関係は次のとおりです。

指差すゴリラの道案内
ゴリラの道案内(地理院タイルを加工)

歯医者さんを嫌がる子供を想像すると、歯科医院とゴリラは親和性がありそうです。まあ、ゴリラである必然性はないとも言えます。同じ動物なら黄色のキリンや白黒のパンダのほうが目立つはずです。

鋭角の角敷地は店舗の駐車場として利用されていないことから、歯科医院が案内看板設置のために買い取ったものかもしれません。もしそうだとすると、2018年4月に「稙田ほまれこども園」として開園した「稙田ほまれ保育園」に切り替わった現実を説明しにくくなります。

一応調べてみましたが、理事長さんも園長さんも宗方姓ではありません。新設されたばかりの保育園としては、ゴリラの案内看板は魅力的に違いありません。歯医者さんとしては、このゴリラはもう十分に目的を果たしてくれたはずです。土地ごと有償譲渡を受け入れる余地はあります。

稙田の地名はオンリーワン

私がこのゴリラを発見したのは2019年6月でしたが、その後の看板は保育園からショッピングプラザに置き換えられています。「あいあるPLACE」のオープンは2018年11月あたりと思われます。土地登記簿を調べれば、看板の土地の所有者はわかります。調べませんけど…。

さて、地理院地図で「稙田」を検索しても、この付近しかヒットしません。きへんの「田」ではなく、のぎへんの「田(わさだ)」です。意味合い的には早稲田と同義ですが、奈良時代には豊後国の国分寺が置かれた由緒ある地名です。

1889年の町村制施行時に稙田村、西稙田村、東稙田村などが合併して、数年間だけ大分町(おおいた-まち)を名乗っています。大分市と大分町が併存した期間があったわけです。

稙田中、稙田西中、稙田東中、稙田南中
稙田(地理院タイルを加工)

大分市立稙田中学校から稙田東中が分離したのは1975年で、稙田西中の分離は1977年、稙田南中学校は1982年の分離です。ニュータウンが開発されて人口が増えていた時代です。どこが南なのかなどと問うより、とにかく設置することが切実な課題だったのでしょう。

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