アメダス入広瀬はなぜ12月に移転したのか?

◆2021/11/13付で「最深積雪463センチ、国内3位のアメダス守門(すもん)」と題するページを公開しましたが、当該ページから一部項目を移動させて入広瀬関係をここに集約しました。1981年2月9日に最深積雪463センチを観測したのは、当時のアメダス入広瀬です。

豪雪四天王の積雪平年値

守門、酸ケ湯、肘折、津南の4地点について、積雪深の平年値(1991-2020)をグラフ化しました。旬ごと数値を用いています。

守門、酸ケ湯、肘折、津南の積雪深平年値
気象庁>平年値(旬ごとの値)守門酸ケ湯肘折津南

これらの地域で土木工事を計画するなら、たとえ工事期間が1~2日だとしても、遅くとも11月に設定しないと除雪・排雪でいたずらに時間を要することがわかるはずです。

ところが、アメダス入広瀬が現在地のアメダス守門に移転したのは2013年12月のことです。10分ごとの観測値は同年12月16日9:40を最後に欠測となり、翌17日22:00にリスタートしています。16日9時の積雪は70センチです。

アメダス入広瀬とアメダス守門
入広瀬と守門(地理院タイルを加工)

アメダス入広瀬は只見線・入広瀬駅から徒歩7分の魚沼市役所入広瀬庁舎(←入広瀬村役場)裏手にありました。

アメダス入広瀬

曲線の建物は入広瀬村役場の庁舎の一部でした。赤丸で囲んだ中央に見えるのがアメダス入広瀬の観測露場です。風向風速と日照は庁舎の屋上設置だったようです。

村役場の裏がアメダス入広瀬
旧・入広瀬村役場(地理院タイルを加工)

画像が粗くて肝心の露場がはっきりしませんが、2009年の航空写真です。

2009年のアメダス入広瀬

雪が降るとこんな具合になるようです。感心するほど道路が除雪されているのは、どの豪雪地帯にも共通しています。

2014年6月の航空写真でも曲線の建物は残っていますので、取り壊されたのはそれ以降になります。

アメダスが移転したのは2013年12月です。取り壊しが2014年6月以降なら、そこまで待って移転してもよかったのではないかと思われます。実際には何らかの必然的な事情があっての12月移転だったのかもしれませんが、ちょっと私の想像が及びません。

国内3位の最深積雪463センチ

アメダス入広瀬では1981年2月9日に最深積雪463センチを観測しており、これは伊吹山酸ケ湯に次ぐ国内3位です。肘折津南をしのいでいます。移転とともに観測地点名称は守門になりましたが、アメダス守門は入広瀬時代の観測値を継承しています。

1981年1月から3月にかけての日最深積雪をグラフ化してみました。450cmを超えたのが1/30、1/31、2/8、2/9、2/11、2/28、3/1と7日ありますが、5mの壁はさすがに厚かったようです。

アメダス入広瀬の1981年1月から3月の積雪深

入広瀬時代と守門時代の数値を比較してみました。標高は入広瀬が230m、守門が222mとされています。

年降雪量日最大降雪最深積雪
1981-2013入広瀬1355cm61cm271cm
2014-2022守門926cm55cm251cm
▲入広瀬と守門

只見線と並行する破間川(あぶるまがわ)の上流(福島県に近いほう)が入広瀬になります。同一年度ではありませんので単純な比較はできないわけですが、やはり入広瀬のほうが若干雪深いようです。

入広瀬小学校は今年度で閉校

入広瀬村と守門村は2004年11月に堀之内町、小出町、湯之谷村、広神村と合併して、計6町村で魚沼市が成立しています。

旧・村役場の対面には入広瀬小学校があります。隣接していた入広瀬中学校は2019年に越後須原駅前の守門中学校と統合して魚沼市立魚沼北中学校になりました。在校生9人の入広瀬小学校も今年度末で閉校となり、須原小学校に統合されるそうです。

閉校になる魚沼市立入広瀬小学校
入広瀬小学校(地理院タイルを加工)

合併直前の2004年10月1日時点の入広瀬村の人口は1,881人です。昨年末時点の旧・入広瀬村相当地区の人口は1,051人です。

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