長虹の如く対岸藤原に架せり

▼2019/10/06 リンク切れ補正など手を加えました。


1939年第25回大会の「巡」ウラ優勝校は宮古水産です。

  • 海草中5-0下関商3-2長野商3-2早稲田実10-5青森中
  • (奥羽大会)青森中8-7盛岡中7-2青森師範3-1花巻中
  • (岩手予選)《盛岡中8-7花巻中》11-9宮古水産

この年の奥羽大会は岩手開催だったようです。岩手4校、青森・秋田各2校でトーナメントが行われています。もし宮古水産が花巻中に勝っていれば、岩手ベスト4で奥羽大会進出でした。

宮古水産高校のWebサイト「学校の歴史」のページには次のように記載されています。

明治34年4月1日 県立水産学校開設、甲種実業学校として発足。
昭和18年9月 宮古市大字磯鶏第12地割仏沢163番地に校舎新築移転。

宮古水産高校>学校の歴史

昭和18年は1943年です。移転前の所在地は記されていません。「宮古水産 大正」で検索してみたところ、国立国会図書館のデジタルコレクションのページがヒットしました。大正2年出版の「岩手県案内」です(原文は旧字で漢数字)。

向町埠頭より左折して閉伊川の岸に出づれば、長さ573尺の新晴橋、長虹の如く対岸藤原に架せり。藤原には県立水産学校及び水産試験場ありて

岩手県案内

向町は宮古市役所近くの町域名です。閉伊川(へいがわ)の対岸には、たしかに藤原という町域があります。さらに検索を続けてみると、「宮古大年表」という心強いページが見つかりました。

■1895年(明治28)
4月17日、日清講和条約が締結され、日清戦争終わる
10月15日、水産補習学校が愛宕の宮古・鍬ヶ崎両組合立高等小学校内に附設・創設される。 *岩手県立水産学校・県立宮古水産高等学校の前身。のち藤原上に移転。藤原上は、いまの藤原1丁目。2丁目は藤原中、3丁目は藤原下にあたる。1943年(昭和18)磯鶏に移転。

宮古onWeb>宮古大年表

痒いところに手が届くとはこのことです。「宮古onWeb」という個人サイトでした。公式サイトが切り捨てたことをフォローしてこその個人サイトです。1939年当時の「県立水産学校」は今の宮古市藤原1丁目にあったわけです。

宮古付近(Google Earthプロ)

これ以上は絞り込めませんでしたが、まあ上出来です。埋め込んだのは2015年7月撮影のストリートビューです。外見的には普通の民家ですが、ここは「宮古市公害試験室」だそうです。藤原1丁目です。

津波の浸水ラインを示す看板が取り付けられています。宮古市役所Webサイトには「宮古市の被害状況」がまとめられています。藤原地区は河南地域に属しますが、浸水深を示すメッシュは5m未満の水色です。

沿岸部ながら壊滅的な事態だけは避けられたようです。震災半年後の2011年10月のストビューでも比較的穏やかな風景です。月山の半島が天然の防潮堤となり、宮古市北部の田老(たろう)地区のような直撃を受けずに済んでいます。

宮古湾の奥でも10m超の浸水が記録されていますが、閉伊川を遡上した津波はそれほどでもなかったようです。誰もが目にしたことがあるはずの宮古市役所5階から撮影した映像です。

(You Tubeの動画が再生できなくなっていましたので削除しました)

川の対岸が藤原地区、正面に見える山が月山(がっさん、別称は御殿山)になります。市役所付近の浸水深も5m未満です。黒い濁流とともに流された白のワンボックスが堤防を越えてくるこの映像は、この日の津波としてはヌルい部類だったことになります。

オモテのVから8年後のウラ制覇

1928年第14回大会のオモテの優勝は松本商(現・松商学園)です。主戦投手は中島治康だったようです。松本商は1936年第22回大会では、一転して「巡」ウラ優勝校になっています。

  • 岐阜商9-1平安中6-5桐生中3-1京阪商5-4静岡商27-4長野商
  • (信越大会)長野商4-0新潟商4-3丸子農商
  • (長野予選)《長野商10-7丸子農商》6-1上田中10-4飯田商10-7松本商

飯田商(現・飯田長姫)は前年の代表校ですから、番狂わせということでもないようです。たまたま予選1回戦がゴールデンカードになっただけなのかもしれません。

2年後の1938年にも両者は1回戦で対戦して松本商が代表になっています。松本商が夏の予選で飯田商に負けたのは1936年の1回だけです。

  • 1934年長野予選2回戦 松本商15-4飯田商
  • 1936年長野予選1回戦 飯田商10-7松本商
  • 1938年長野予選1回戦 松本商19-3飯田商
  • 1939年長野予選2回戦 松本商8-4飯田商
  • 1950年長野予選2回戦 松商学園6-4飯田長姫
  • 1951年信越大会決勝 松商学園1-0飯田長姫
  • 1958年長野大会2回戦 松商学園4-0飯田長姫
  • 1981年地区代表決定戦 松商学園14-0飯田長姫
  • 2000年長野大会3回戦 松商学園10-3飯田長姫

さて、松商学園高校のWebサイトには「昭和11年 松本市大字筑摩県町に校舎新築、11月移転式挙行」との記述があります。昭和11年とはまさしく1936年です。MAPに反映させるためには、移転の時期が問題になります。

Wikipedia「松商学園高等学校」のページの記載(2017/09/22現在)も微妙です。

1913年6月 – 埋橋に校舎を新築し移転。
1936年2月 – 松本市大字筑摩県町(県3丁目)に校舎を新築。

この「新築」が竣工の意味なら、4月から移転しているものと思われます。そう考えるのが自然です。11月は式典だけだったのでしょう。4月の新年度で移転して、式典が半年後というのはこの業界ではありがちなことのようです。

というわけで、MAPには現在の校地で反映させました。旧・松本商の所在地だった町域名としての「埋橋(うずはし)」は、松本城の南東になります。

ストリートビューは2010年11月撮影の松本城西側の内堀に架かる「埋橋」です。

校門の先はクスノキの並木

1930年第16回の「巡ウラ」優勝校は千葉の茂原農です。

  • 広島商8-2諏訪蚕糸3-0平安中15-0東北中3-2水戸中
  • (東関東大会)水戸中7-4茨城工22-8千葉師範
  • (千葉予選)《千葉中13-6千葉師範》15-1成東中21-3茂原農

2006年4月、茂原農は茂原工との統合で茂原樟陽(もばらしょうよう)高校になっています。旧・茂原農の校地と校舎が統合後の茂原樟陽に引き継がれているようです。

Wikipediaの「茂原樟陽」のページには、旧・茂原工の校地は工業校舎として使用されているかのような記載もあります(2017/09/19現在)。公式サイトを覗いてみた限り、旧・茂原工の校舎が今も使われている形跡はありません。

統合当初の数年間は旧・茂原農が本校舎、旧・茂原工は工業校舎という形で運用されていたのかもしれません。新校名「樟陽」のうち「樟」は、校門を入ったところにあるクスノキの並木に由来するものと思われます。

「姓名分布&ランキング 写録宝夢巣」さんによれば、「楠」姓は全国で864位、「楠木」姓は2734位だそうです。一般的にはクスノキは「楠」と書きますが、どうやらクスノキに「樟」、タブノキに「楠」を当てるのが正解のようです。

クスノキは西日本に多く分布しており、兵庫、佐賀、熊本、鹿児島の4県で「県の木」とされています。上記姓名ランキングでも、「楠木」姓や「楠」姓はやはり西日本に多い苗字です。

京都大学の正門から入った真正面の木がクスノキです。ストリートビューには雪景色の時計台前クスノキがありました。2015年1月撮影のものです。

もう1つ、ストビュー(2013年3月撮影)を埋め込んでおきます。鹿児島県姶良市の蒲生八幡神社境内にある「蒲生のクス」です。根元に木製の格子扉が見えますが、中には8畳分の空洞があるそうです。

樹齢1500年と言われるのは、1123年の神社創建時にすでに存在していたとされているからでしょうが、日本では自生しない(異説あり)というクスノキですから、誰かが植林したことになるわけです。

DAMは「さみしい」、JOYは「さびしい」

精密DX-Gで第113回ヒトカラ選手権を始めました。第111回のエントリー30曲のうち9曲を入れ替えたわけですが、今回外したZARDの「揺れる想い」には、△△のフレーズがあります。

▲2017/12/09 サブブログ開設に伴い、歌詞掲載部分を移記しました。
「揺れる想い/ZARD/1993年/詞・坂井泉水」

さて、第113回はどうせ「さらば恋人」がイチ抜けするだろうと踏んで、坂井泉水作詞の「さらば青春の影よ」のほかに、「さらばシベリア鉄道」、「さらば青春」、「さらば涙と言おう」、「サラバ、愛しき悲しみたちよ」を揃えました。

もっとも苦戦するだろうと思っていた「サラバ、愛しき悲しみたちよ」も初回はなんとか素点90点を確保しましたが、「さらばシベリア鉄道」、「さらば青春」、「さらば涙と言おう」あたりは95点オーバーには届かないような気がします。

今回の選曲では入賞ラインが96点台に落ち込むかもしれません。過去4回の精密DX-Gでボーナス加点後に97点台に達した曲で、ボーナス加算前の素点がもっとも低かったのは次のとおりです。

  • 第111回 97.022=94.987+2.035 M ♪ つるの剛士
  • 第110回 97.196=95.283+1.913 蒼いフォトグラフ ♪ 松田聖子
  • 第109回 97.057=95.504+1.553 貝殻テラス ♪ 荻野目洋子
  • 第107回 97.041=95.283+1.758 蒼いフォトグラフ ♪ 松田聖子

素点94点台後半ではボーナス2点はまず期待できません。素点で95点を超えないとボーナス加点後の97点台は厳しいわけです。別にハードルを下げたいわけではありませんが、今回の選曲は私には少しシビアだったかもしれません。

福岡農跡地は沖学園が継承

敗者復活戦が行なわれた1916年第2回大会の「巡ウラ」優勝校を辿ってみます。予選は九州大会の名称になっていたようですが、参加した10校はすべて福岡勢です。

  • 慶応普通部6-2市岡中5-4鳥取中9-6中学明善《広島商19-4中学明善》
  • (九州大会)中学明善9-2福岡工13-1福岡商25-0福岡農

福岡県立福岡農業高校のWebサイト「学校沿革」によれば、1916年当時の福岡県立福岡農学校は福岡市博多区竹下(当時の筑紫郡那珂村)に校舎があったようです。博多区竹下をGoogle Mapで開いてみました。

沖学園が怪しそうです。沖学園は1958年に博多商業高校として開校しています。福岡農が福岡市南区塩原に移転したのも1958年です。福岡農の校地は沖学園に払い下げられたものと思われます。

福岡県立博物館のWebサイトで公開されている1934年発行の「最新福岡市街及郊外地図」にアサヒビールの工場に隣接して「農学校」があります。確定です。

埋め込んだストリートビューは2014年1月撮影の沖学園です。脇の道路は「竹下通り」という通称のようです。

さて、福岡農は初参戦の1916年第2回から1954年第36回まで7回挑んで7連敗、1976年第58回以降は連続出場しており、初勝利は1977年第59回です。

1979年から1995年まで17年連続初戦敗退ですが、この間に沖学園と2度対戦しています。1987年は1対21、1993年は1対25という派手な最終スコアです。

野球部は弱小チームでも、福岡農は1948年2月の全国中等学校対抗駅伝で優勝しており、学制改革を経た翌1949年の高校対抗駅伝でもV2を果たしています。

今の「全国高等学校駅伝競走大会」は1950年が第1回です。1953年と翌1954年の第4回と第5回の優勝チームは、当時「福岡県立筑紫野高校」と称していた福岡農です。ただし、今の福岡農には陸上部あるいは駅伝部はないものと思われます。

純粋な農業科は全国規模でもすでに絶滅危惧種であり、今の福岡農に設置されているのは都市園芸科、環境活用科、食品科学科、生活デザイン科です。「土を耕し 心を耕し 未来を耕す」の校訓が色褪せないことを希望します。