「しぎ」ではなく「しき」
埼玉県志木市は「しぎ」と濁るものと思っていましたが、清音の「しき」が正解のようです。Google 日本語入力では「しぎし」でも「しきし」でも「志木市」に変換できますし、「しぎえき」も「しきえき」も「志木駅」に変換されます(MS-IMEでは変換できません)。
「きずく」が「気づく」に変換されるようにグーグル先生のサービス精神が発揮されているわけですが、間違っていることに気づかないわけですから、親切なのか余計なお世話なのかは微妙なところかもしれません。
志木も隣接する新座も元は新羅(しらぎ)郡です。「新羅」が「志楽木」になって、どこかで清音化してしまったようです。ちなみに、生駒山地の信貴山(しぎさん)は「しきさんぐちえき」を「信貴山口駅」に変換することはできません。
離婚して再婚
志木は町(市)自体がややこしい変遷をたどっています。志木町と宗岡村は離婚して再婚したレアな事例です。
1889年 | 志木町 | 宗岡村 | 内間木村 | 水谷村 |
1944年 | 志紀町 | = | = | = |
1948年 | 志木町 | 宗岡村 | 内間木村 | 水谷村 |
1955年 | 足立町 | = | 朝霞町 | ↓ |
1956年 | ↓ | ↓ | ↓ | 富士見村 |
1964年 | ↓ | ↓ | ↓ | 富士見町 |
1967年 | ↓ | ↓ | 朝霞市 | ↓ |
1970年 | 志木市 | = | ↓ | ↓ |
1972年 | ↓ | ↓ | ↓ | 富士見市 |
太平洋戦争中に4町村が合併して北足立郡志紀町が成立しますが、4年で元に戻ります(宗岡村と水谷村は合併前は入間郡、分離後は北足立郡)。1955年に志木町と宗岡村は再合併して足立町を名乗ります。1970年の市制施行に際して志木市を称しています。
本題の商業高校ですが、1939年に設立された志木町立商業学校は、戦時転換で工業学校となり、1946年には商業校に戻り、学制改革で志木高になったものの、1949年には閉校となっています。
1939 | 志木町立志木商業学校 |
1944 | 志木町立志木工業学校 |
1946 | 志木町立志木商業学校 |
1948 | 志木町立志木高等学校 |
1949 | 3月に廃校 |
今の志木高等学校は1970年設立の県立高校です。
廃校跡には志木中が
廃校となった高校跡には志木中が移転してきたようです。そこで、志木中のWebサイトを覗いてみると、やけに詳しい沿革が記されていました。
昭和22年4月 埼玉県北足立郡志紀町立志紀中学校として開校。
埼玉県志木市立志木中学校>志木中学校の沿革
昭和23年4月 町村分離により、志木中学校として独立校となる。
昭和24年3月 志木商業高校が廃校となり、校舎の全てを使用。(現在の志木第三小学校校地)
昭和37年3月 新校庭完成。(現在の志木中校地)
昭和49年3月 新校舎完成。(現在の校地)
こういうことのようです。まず1939年に赤ピンのところに志木町立商業学校が設立されます。1949年の閉校後は中学校が移転してきます。1962年に黄ピンの場所がグラウンドとして整備されます。
1974年に志木中は赤から黄に移転し、空いた赤のスペースで翌1975年に志木三小が開校したということになります。この一帯は戦国時代の「柏の城」跡で、三小付近が本丸だそうです。
河童系ゆるキャラ
ところで、2018年ゆるキャラグランプリでは志木市文化スポーツ振興公社の「カパル」が逆転で1位に輝いています。河童系のゆるキャラは一定の勢力を確保しています。
- 遠野市「カリンちゃん&くるりんちゃん」
- 株式会社chico「ゆずがっぱ」
- 株式会社メニコン「メル助」
- 久留米市「くるっぱ」
- 小樽紙匠堂「おたる運がっぱ」
- 相模女子大学「さがっぱ・ジョー」
- 天竜区観光協会佐久間支部「さくまる」
- 相良村「サガラッパ」
- 株式会社中国銀行「カッパのかんちゃん」
- 志木市商工会「カッピー」
- 福崎町「フクちゃん・サキちゃん」
カパルとにゃんごすたーのコラボ動画がありました。本来、カパルの手は指先まで緑です。アコギをそのまま弾くこともあるようですが、さすがにエレベでは手首から先が白黒の縞模様に変わっています。3本指は変わらないようですが…。
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