1936年第22回大会
1928年第14回大会のオモテの優勝は松本商(現・松商学園)です。主戦投手は中島治康だったようです。1962年に作新学院が春夏連覇するまで最北の優勝校でした。
松本商は1936年第22回大会では、一転して「巡」ウラ優勝校になっています。1936年の全国大会は22チーム出場です。長野商が全国大会のウラ優勝校になります。
全国・F | 岐阜商 | 9-1 | 平安中 |
全国・S | 平安中 | 6-5 | 桐生中 |
全国・Q | 桐生中 | 3-1 | 京阪商 |
全国・2 | 京阪商 | 5-4 | 静岡商 |
全国・1 | 静岡商 | 27-4 | 長野商 |
信越・F | 長野商 | 4-0 | 新潟商 |
信越・S | 新潟商 | 4-3 | 丸子農商 |
長野・F | 長野商 | 10-7 | 丸子農商 |
長野・S | 丸子農商 | 6-1 | 上田中 |
長野・Q | 上田中 | 10-4 | 飯田商 |
長野・1 | 飯田商 | 10-5 | 松本商 |
信越大会を辿ると丸子農商(丸子実を経て現・丸子修学館)にウラの権利が渡ります。丸子農商は県大会決勝で長野商に負けています。ここから「巡ウラ」を辿っていくと松本商になります。飯田商(現・飯田長姫)は前年の代表校ですから、番狂わせということでもないようです。
たまたま予選1回戦がゴールデンカードになっただけなのかもしれません。2年後の1938年にも両者は1回戦で対戦して松本商が代表になっています。松本商が夏の予選で飯田商に負けたのは1936年の1回だけです。
- 1934年長野予選2回戦 松本商15-4飯田商
- 1936年長野予選1回戦 飯田商10-7松本商
- 1938年長野予選1回戦 松本商19-3飯田商
- 1939年長野予選2回戦 松本商8-4飯田商
- 1950年長野予選2回戦 松商学園6-4飯田長姫
- 1951年信越大会決勝 松商学園1-0飯田長姫
- 1958年長野大会2回戦 松商学園4-0飯田長姫
- 1981年地区代表決定戦 松商学園14-0飯田長姫
- 2000年長野大会3回戦 松商学園10-3飯田長姫
ちょうど移転の年
さて、松商学園高校のWebサイトには「昭和11年 松本市大字筑摩県町に校舎新築、11月移転式挙行」との記述があります。昭和11年とはまさしく1936年です。MAPに反映させるためには、移転の時期が問題になります。
Wikiの記載も微妙です。
1913年6月 – 埋橋に校舎を新築し移転。
Wikipedia「松商学園高等学校」(2017/09/22現在)
1936年2月 – 松本市大字筑摩県町(県3丁目)に校舎を新築。
この「新築」が竣工の意味なら、4月から移転しているものと思われます。そう考えるのが自然です。11月は式典だけだったのでしょう。4月の新年度で移転して、式典が半年後というのはこの業界ではありがちなことのようです。
というわけで、MAPには現在の校地で反映させました。旧・松本商の所在地だった町域名としての「埋橋(うずはし)」は今の松本秀峰の付近です。
読みが異なりますが「埋橋」は松本城が有名です。ストリートビューは2010年11月撮影の松本城西側の内堀に架かる「埋橋(うずみばし)」です。長野には多い苗字でもあります。
私が行った頃は歩いて渡れましたが、2011年の長野県中部地震以降は渡れなくなっているようです。このストビューでロープがあるのは撮影時刻の関係と思われます。
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